これは狐か狸だろう、矢張、俳優だが、数年以前のこと、今の沢村宗十郎氏の門弟で某という男が、或夏の晩他所からの帰りが大分遅くなったので、折詰を片手にしながら、てくてく馬道の通りを急いでやって来て、さて聖天下の今戸橋のところま・・・ 小山内薫 「今戸狐」
・・・家は馬道辺で二階を人に貸して家賃の足しにしていた。おかみさんはまだ婆さんというほどではなく、案外垢抜けのした小柄の女で、上野広小路にあった映画館の案内人をしているとの事であった。爺さんはいつでも手拭を後鉢巻に結んでいるので、禿頭か白髪頭か、・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・他の一筋は堤の尽きるところ、道哲の寺のあるあたりから田町へ下りて馬道へつづく大通である。電車のないその時分、廓へ通う人の最も繁く往復したのは、千束町二、三丁目の道であった。 この道は、堤を下ると左側には曲輪の側面、また非常門の見えたりす・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・蒼ざめた月を仰ぎながら、二人は目見えのときに通った、広い馬道を引かれて行く。階を三段登る。廊を通る。廻り廻ってさきの日に見た広間にはいる。そこには大勢の人が黙って並んでいる。三郎は二人を炭火の真っ赤におこった炉の前まで引きずって出る。二人は・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫