・・・ついで謙助も昌平黌出役になったので、藩の名跡は安政四年に中村が須磨子に生ませた長女糸に、高橋圭三郎という壻を取って立てた。しかしこの夫婦は早く亡くなった。のちに須磨子の生んだ小太郎が継いだのはこの家である。仲平は六十六で陸奥塙六万三千九百石・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・安倍君と同じ組には魚住影雄、小山鞆絵、宮本和吉、伊藤吉之助、宇井伯寿、高橋穣、市河三喜、亀井高孝などの諸君がいたが、安倍君のほかには漱石に近づいた人はなく、そのあと、私の前後の三、四年の間の知友たちの間にも、一人もなかった。木曜会で初めて近・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
・・・哲学者の先生に対する態度にしても、少し後のことではあるが『善の研究』に対する高橋里美君の批評にしても、当時のそういう雰囲気を反映しているように思われる。先生が四高から学習院に移り、わずか一年でさらに京都大学に移られたことも、そういう雰囲気と・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
・・・スフィンクスが眼をむいて出現して以来、人間が羽なき二足獣であって以来の問題である。高橋氏の「人生観」が人生を解き、黒岩氏の天人論が天と人との神秘を開いたる今日にも依然としてむずかしい。むずかしければこそ藤村君は巌頭に立ち、幾万の人は神経衰弱・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫