・・・ 神田では三省堂を出てから夜店の古本を見て十銭でエジソン伝など掘出し、あすこの不二家へよってコーヒーとお菓子をたべ、バスで高田の馬場までかえりました。おなかをすかして、とろろで御飯をたべ、それからお風呂に入って、二階へ上ったという順序で・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・・ガルボがクリスチナ女王という写真をとり、大変立派だという評判はもうずっときいていたが、机にかじりついていて、もう昭和館とかでいねちゃんが見たときいたので、私はバカネ、それが戸塚にあるキネマだと思って高田の馬場で降りたら、あるのは戸塚でチャ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 一九二五年四月〔牛込区馬場下町東光館 富澤有為男宛 小石川区高田老松町五九より〕 原稿を拝見いたしました。 遠慮なく加筆したところもあり、削ったところもございます。何卒あしからず。「この頃の若いもの云々」の話、率直・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・『週刊朝日』で、高田保氏と対談している幸田文氏は、その意味のことをいっている。自分が女だもんだから女のことは大体わかるのでという風に。 わたしは、偶然、そのところをよんで、何となし考えこんだ。こんにち、ほんとに女のことのわかっているとい・・・ 宮本百合子 「人間イヴの誕生」
・・・兄の介錯は高田十兵衛、弟のは村上市右衛門がした。橋谷は出雲国の人で、尼子の末流である。十四歳のとき忠利に召し出されて、知行百石の側役を勤め、食事の毒味をしていた。忠利は病が重くなってから、橋谷の膝を枕にして寝たこともある。四月二十六日に西岸・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・越後国では、高田を三日、今町を二日、柏崎、長岡を一日、三条、新潟を四日で廻った。そこから加賀街道に転じて、越中国に入って、富山に三日いた。この辺は凶年の影響を蒙ることが甚しくて、一行は麦に芋大根を切り交ぜた飯を食って、農家の土間に筵を敷いて・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・父は東京にいでしことあれど、おのれは高田より北、吹上より南を知らずという。東京の客のここへ来ることは、年に一たびあらんなどいえど、それも山田へとてにはあらざるべし。きょう今までの座敷より本店のかたへ遷る。ここは農夫の客に占められたりしがよう・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・ 知人の高田が梶の所へ来て、よく云われるそんな注文を梶に出した。別に稀な出来事ではなかったが、このときに限って、いつもと違う特別な興味を覚えて梶は筆を執った。それというのも、まだ知らぬその青年について、高田の説明が意外な興味を呼び起させ・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫