・・・その代表的なのが、高見順の「わが胸の底のここには」という『新潮』に連載されている作品です。文学好きというような人には、そうとう読まれていると思う。 この「わが胸の底のここには」という題は、藤村の「我が胸の底のここには言い難き秘事住めり」・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・ブルジョア・リアリズムの限界を感じて、しかも民主主義的な人民の文学の発生に対して自分を合流させなかった作家たちが、高見順からはじまって坂口安吾まで、椎名麟三まで、流れ崩れて、漂っています。芸術の分野で多くの要素を占めている小市民的な階層の作・・・ 宮本百合子 「第一回日本アンデパンダン展批評」
・・・そこに、高見順氏が序文でいっているように捉え難い今日の若い女性の心理を、典型的な今日の若い女性が自己告白の文章によって描き出したという興味と意味とがおかれている。若い同性の読者たちは、この本のなかに自分たちの気分や気持がそのまま語られている・・・ 宮本百合子 「若い婦人の著書二つ」
・・・裏門の指揮役は知行五百石の側者頭高見権右衛門重政で、これも鉄砲組三十挺の頭である。それに目附畑十太夫と竹内数馬の小頭で当時百石の千場作兵衛とがしたがっている。 討手は四月二十一日に差し向けられることになった。前晩に山崎の屋敷の周囲には夜・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・百済国から渡ったのを、高見王が持仏にしておいでなされた。これを持ち伝えておるからは、お前の家柄に紛れはない。仙洞がまだ御位におらせられた永保の初めに、国守の違格に連座して、筑紫へ左遷せられた平正氏が嫡子に相違あるまい。もし還俗の望みがあるな・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・のあとでお取崩しになって、今じゃ塀や築地の破れを蔦桂が漸く着物を着せてる位ですけれど、お城に続いてる古い森が大層広いのを幸いその後鹿や兎を沢山にお放しになって遊猟場に変えておしまいなさり、また最寄の小高見へ別荘をお建てになって、毎年秋の木の・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫