・・・ ……あの坊さんは、高野山とかの、金高なお宝ものを売りに出て来ているんでしょう。どことかの大金持だの、何省の大臣だのに売ってやると言って、だまして、熊沢が皆質に入れて使ってしまって、催促される、苦しまぎれに、不断、何だか私にね、坊さんが・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 難波へ出るには、岸ノ里で高野線を本線に乗りかえるのだが、乗りかえが面倒なので、汐見橋の終点まで乗り、市電で戎橋まで行った。 戎橋の停留所から難波までの通りは、両側に闇商人が並び、屋号に馴染みのないバラックの飲食店が建ち、いつの間に・・・ 織田作之助 「神経」
・・・ 難波から高野線の終電車に乗り、家に帰ると、私は蚊帳のなかに腹ばいになって、稿を起した。題は「十銭芸者」――書きながら、ふとこの小説もまた「風俗壊乱」の理由で闇に葬られるかも知れないと思ったが、手錠をはめられた江戸時代の戯作者のことを思・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ その年転じて叡山に遊び、ここを中心として南都、高野、天王寺、園城寺等京畿諸山諸寺を巡って、各宗の奥義を研学すること十余年、つぶさに思索と体験とをつんで知恵のふくらみ、充実するのを待って、三十二歳の三月清澄山に帰った。 かくて智恵と・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・信玄は飯綱どころか、禅宗でも、天台宗でも、一向宗までも呑吐して、諸国への使は一向坊主にさせているところなど、また信玄一流の大きさで、飯綱の法を行ったかどうか知らぬが、甲州八代郡末木村慈眼寺に、同寺から高野へ送った武田家品物の目録書の稿の中に・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
序編には、女優高野幸代の女優に至る以前を記す。 昔の話である。須々木乙彦は古着屋へはいって、君のところに黒の無地の羽織はないか、と言った。「セルなら、ございます。」昭和五年の十月二十日、東京の街路樹の葉は・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・打ち払ふ硯かな孑孑の水や長沙の裏長屋追剥を弟子に剃りけり秋の旅鬼貫や新酒の中の貧に処す鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな新右衛門蛇足をさそふ冬至かな寒月や衆徒の群議の過ぎて後 高野隠れ住んで花に真田が謡かな・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・あゆみ』から『民主主義』読本を文部省が発行できるように日本の民主化が歪曲されて来るにつれて、吉田茂は、とうとう、日本人の大部分が満足していない国会を、外国の新聞がほめている、というような状態になった。高野岩三郎氏が死去されたのちNHKの会長・・・ 宮本百合子 「「委員会」のうつりかわり」
・・・そのうち或る晩、本郷切通しの右側にあった高野とか云う楽器店で、一台のピアノを見た。何台も茶色だの黒だののピアノがある間にはさまって立っていたそのピアノは父と一緒に店先で見たときはそれほどとも思わなかったのに、家へ運ばれて来て、天井の低い茶室・・・ 宮本百合子 「きのうときょう」
・・・切腹のとき、高野勘右衛門が介錯した。林は南郷下田村の百姓であったのを、忠利が十人扶持十五石に召し出して、花畑の館の庭方にした。四月二十六日に仏巌寺で切腹した。介錯は仲光半助がした。宮永は二人扶持十石の台所役人で、先代に殉死を願った最初の男で・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫