・・・そう云えば鼻柱の上にも一人、得意そうにパンス・ネエに跨っている。…… 自働車の止まったのは大伝馬町である。同時に乗客は三四人、一度に自働車を降りはじめた。宣教師はいつか本を膝に、きょろきょろ窓の外を眺めている。すると乗客の降り終るが早い・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・「まぶたを溢れて、鼻柱をつたう大粒の涙が、唇へ甘く濡れました。甘い涙。――いささか気障ですが、うれしい悲しいを通り越した、辛い涙、渋い涙、鉛の涙、男女の思迫った、そんな味は覚えがない、ひもじい時の、芋の涙、豆の涙、餡ぱんの涙、金鍔の・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・、抱きついてやりたいような気がしたのを、しつッこいと思わせないため、まぎらしに仰向けに倒れ、両手をうしろに組んだまま、その上にあたまをのせ、吉弥が机の上でいたずらをしている横がおを見ると、色は黒いが、鼻柱が高く、目も口も大きい。それに丈が高・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・K君の瞳はだんだん深く澄んで来、頬はだんだんこけ、あの高い鼻柱が目に立って硬く秀でてまいったように覚えています。 K君は、影は阿片のごときものだ、と言っていました。もし私の直感が正鵠を射抜いていましたら、影がK君を奪ったのです。しかし私・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・そこで衆人の心持は、せめて画でなりと志村を第一として、岡本の鼻柱を挫いてやれというつもりであった。自分はよくこの消息を解していた。そして心中ひそかに不平でならぬのは志村の画必ずしも能く出来ていない時でも校長をはじめ衆人がこれを激賞し、自分の・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ なかば喪心の童子の鼻柱めがけて、石、投ぜられて、そのとき、そもそも、かれの不幸のはじめ、おのれの花の高さ誇らむプライドのみにて仕事するから、このような、痛い目に逢うのだ。芸術は、旗取り競争じゃないよ。それ、それ。汚い。鼻血。見るがいい、君・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・何か少し込み入った事について会心の説明をするときには、人さし指を伸ばして鼻柱の上へ少しはすかいに押しつける癖があった。学生の中に質問好きの男がいて根掘り葉掘りうるさく聞いていると、「そんなことは、君、書いた当人に聞いたってわかりゃしないよ」・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・――高島貞喜は、学生たちが停車場から伴ってきたが、黒い詰襟の学生服を着、ハンチングをかぶった小男は、ふとい鼻柱の、ひやけした黒い顔に、まだどっかには世なれない少年のようなあどけなさがあった。「フーン、これがボルか」 会場の楽屋で、菜・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ はっきりした日差しに苔の上に木の影が踊って私の手でもチラッと見える鼻柱でも我ながらじいっと見つめるほどうす赤い、奇麗な色に輝いて居る。 こんな良い空を勝手に仰ぎながら広い「野っぱ」を歩いて居る人が有ろうと思うと、斯うして居る自分が・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・頭、耳がやはり波を打ったチョコレート色の毛で被われ、鼻柱にかけて、白とぶちになって居る。今に大きくなり、性質も悠暢として居そうなのは、わるく怯えないのでもわかる。 私は「置いてね、置いて頂戴ね」とせびり出した。「・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
出典:青空文庫