・・・僕はパンをかじりながら、ちょっと腕時計をのぞいてみました。時刻はもう一時二十分過ぎです。が、それよりも驚いたのは何か気味の悪い顔が一つ、円い腕時計の硝子の上へちらりと影を落としたことです。僕は驚いてふり返りました。すると、――僕が河童という・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・「大いなるパンは死にました。いや、パンもいつかはまたよみ返るかも知れません。しかし我々はこの通り、未だに生きているのです。」 オルガンティノは珍しそうに、老人の顔へ横眼を使った。「お前さんはパンを知っているのですか?」「何、・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・ しかしながら、もし私がほかに何の仕事もできない人間で、諸君に依頼しなければ、今日今日を食っていけないようでしたら、現在のような仕組みの世の中では、あるいは非を知りながらも諸君に依頼して、パンを食うような道に従って生きようとしたかもしれ・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・破壁残軒の下に生を享けてパンを咬み水を飲む身も天ならずや。 馬鹿め、しっかり修行しろ、というのであった。これもまた信じている先生の言葉であったから、心機立ちどころに一転することが出来た。今日といえども想うて当時の事に到るごとに、心自・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・ 泰西の諸国にて、その公園に群る雀は、パンに馴れて、人の掌にも帽子にも遊ぶと聞く。 何故に、わが背戸の雀は、見馴れない花の色をさえ恐るるのであろう。実に花なればこそ、些とでも変った人間の顔には、渠らは大なる用心をしなければならない。・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・僕は家族にパンを与えないで、自分ばかりが遊んでいたように思えた。 僕の書斎兼寝室にはいると、書棚に多く立ち並んでいる金文字、銀文字の書冊が、一つ一つにその作者や主人公の姿になって現われて来て、入れ代り、立ち代り、僕を責めたりあざけったり・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・塩の為め書いたものでないのは明かであるが、此の過去の事実を永遠に文人に強いて文学の労力に対しては相当の報賞を与うるを拒み、文人自らが『我は米塩の為め書かず』というは猶お可なれども、社会が往々『大文学はパンの為めに作られず』と称して文人の待遇・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・おいしい パンや ビスケットを なげて くれました。子ぐまは ときどき おかあさんを おもいだして、「ウオー。」と、なきます。 小川未明 「しろくまの 子」
・・・「ひとりで、パンが買える?」と、北川くんが、立ち止まって、やさしく弟の顔をのぞくようにして、きいていました。 小さな弟は、だまって、うなずきました。「もし、お金を落としたら、兄さんのところへいってくるのだよ。」と、北川くんは、い・・・ 小川未明 「笑わなかった少年」
・・・が依然として、街頭のパンやライスカレーは姿を消さず、また、梅田新道の道の両側は殆んど軒並みに闇煙草屋である。 六月十九日の大阪のある新聞に次のような記事が出ていた。「大阪曾根崎署では十九日朝九時、約五十名の制服警官をくり出して梅・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
出典:青空文庫