・・・上塩町に三十年住んで顔が広かったからかなり多かった会葬者に市電のパスを山菓子に出し、香奠返しの義理も済ませて、なお二百円ばかり残った。それで種吉は病院を訪ねて、見舞金だと百円だけ蝶子に渡した。親のありがたさが身に沁みた。柳吉の父が蝶子の苦労・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・もちろん新聞社などへ、はいるつもりも無かったし、また試験にパスする筈も無かった。完璧の瞞着の陣地も、今は破れかけた。死ぬ時が来た、と思った。私は三月中旬、ひとりで鎌倉へ行った。昭和十年である。私は鎌倉の山で縊死を企てた。 やはり鎌倉の、・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・上り下りの電車がホームに到着するごとに、たくさんの人が電車の戸口から吐き出され、どやどや改札口にやって来て、一様に怒っているような顔をして、パスを出したり、切符を手渡したり、それから、そそくさと脇目も振らず歩いて、私の坐っているベンチの前を・・・ 太宰治 「待つ」
・・・それで検閲はパスするが時々爆発が起こるというのである。真偽は知らないが可能な事ではある。 こういうふうに考えて来ると、あらゆる災難は一見不可抗的のようであるが実は人為的のもので、従って科学の力によって人為的にいくらでも軽減しうるものだと・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・しかし、そういう一番肝心な基礎的なことがよく分からないで枝葉のデテールをごたごたに暗記して、それで高等学校の入学試験をパスし、大学の関門を潜り、そうして極めてスペシァルなアカデミックな教育を受けて天晴れ学士となり、そうしてしかも、実はその専・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・その序詩の末段に、Qu'importe! ce n'est pas ta splendeur et ta gloireQue visitent mes pas et que veulent mes yeux ;Et je n・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・と刻されたのはパスリユという坊様の句だ。このパスリユは千五百三十七年に首を斬られた。その傍に JOHAN DECKER と云う署名がある。デッカーとは何者だか分らない。階段を上って行くと戸の入口に T. C. というのがある。これも頭文字だ・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ コムパスは、南西を指していた。ところが、そんな処に、島はない筈であった。 コーターマスターは、メーツに、「どうもおかしい」旨を告げた。 メーツは、ブリッジで、涼風に吹かれながら、ソーファーに眠っていたが、起き上って来て、「・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・千葉のファシスト地下組織は、もと上海特務機関中尉である大島軍司という人物を中心にして、千葉県知事、市長、成田山の僧正、千葉市警察署長、その他各地の警察署長とれんらくして、大島は警察パス、外務省パスを所持して、現在は法務庁に籍を持っているそう・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・新交響楽団のベートウベンをずっときいているのですが、今度はパスをくれそうです。そうしたらうれしい。うちにピアノがほしいけれどもピアノがあったらよしあしだろうからそれよりレコードをきけるようにしたいと思っています。国府津へ国男が父親になった記・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫