出典:青空文庫
・・・どうせ蔵六の事だから僕がよんだってわかるようなものは書くまいと思って、またカントかとか何とかひやかしたら、そんなものじゃないと答えた。それから、じゃデカルトだろう。君はデカルトが船の中で泥棒に遇った話を知っているかと、自分でも訳のわからない・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・自分はまだそのときカントの第二批判を知らなかったが、自分のたましいの欲するところはとりもなおさずカントの至完善の要請であったのである。人間の倫理的養成がいかにわれらの禀性に本具しているかはこれでも思いあたるのである。その青春時代学芸と教養と・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・芸術が自由であれば、それだけ高く昇騰すると信ずることは、凧のあがるのを阻むのは、その糸だと信ずることであります。カントの鳩は、自分の翼を束縛する此の空気が無かったならば、もっとよく飛べるだろうと思うのですが、これは、自分が飛ぶためには、翼の・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
・・・ たまに、すこし書くのであるから、充分、考えて考えて書かなければなるまい。ナンセンス。 カントは、私に考えることのナンセンスを教えて呉れた。謂わば、純粋ナンセンスを。 いま、ふと、ダンデスムという言葉を思い出し、そうして・・・ 太宰治 「思案の敗北」
・・・これは、カントの例証です。僕は、現代の日本の政治界の事はちっとも知らないのです。」「しかし、多少は知っていなくちゃいけないね。これから、若い人みんなに選挙権も被選挙権も与えられるそうだから。」と越後は、一座の長老らしく落ちつき払った態度・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・古いノオトのちりを吹き払って、カントやヘエゲルやマルクスを、もういちど読み直して、それから、酒をつつしんで新しい本も買いたい。やはり弁証法に限る、と惚れ直すかも知れない。そうでないかも知れない。もっともっと勉強してみてからでなければわかるま・・・ 太宰治 「多頭蛇哲学」
・・・ロックやヒュームやカントには多少の耳を借しても、ヘーゲルやフィヒテは問題にならないらしい。これはそうありそうな事である。とにかく将来の哲学者は彼から多くを学ばねばなるまい。ショーペンハウアーとニーチェは文学者として推賞するのだそうである。し・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・純粋理性批判は産めないが、カントを産む事が出来る」と云っている。 話頭は転じて、いわゆる「天才教育」の問題にはいる。特別の天賦あるものを選んで特別に教育するという事は、原理としては多数の承認するところで問題は程度如何にある。これは元来ダ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ もし誰かがカントを引ぱり出して寄席の高座から彼のクリティクを講演させたとしたらどうであったろう。それは少しも可笑しくはないかもしれない、非常に結構な事ではあろうが、しかしそれがカントに気の毒なような気のするだけは確かである。 私は・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・近ごろベルグソンが出て来て、カントや科学者の考えた「時」というものは「空間化された時」であって「純な時」というものがほかにあると考え、彼のいわゆる形而上学の重要な出発点の一つとしているようである。それらの議論はむつかしすぎて自分にはのみ込め・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」