出典:青空文庫
・・・手紙で返事を寄こして、僕、寡聞にして、ヘルベルト・オイレンベルグを知りませず、恥じている。マイヤーの大字典にも出て居りませぬし、有名な作家ではないようだ。文学字典から次の事を知りました、と親切に、その人の著作年表をくわしく書いて送って下さっ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ エネルギー保存説の開祖ロベルト・マイヤーは、当時の物理の世界から見ればむしろ旋毛曲りの頑固な田舎親爺であったに相違無い。 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・きょうから隣の空室へ判事試補マイヤー君が宿をとりました。法科のベルナー君や理科のデフレッガア君などは目下郷里へ帰ってたいへん静かであります。 長々と書いたもののいっこうつまらなくなりました。 パリから 私の宿・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・やオイゲン・マイヤーの「航空に関する応用力学」などを聴いた。ヘルメルトは赭ら顔で眼をしょぼしょぼさせた何となく田舎爺のような感じのする、しかしどこかなかなか喰えないような気のする先生であったが、しかしやはり一とかどのえらい学者のように思われ・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・ロバート・マイヤーがフラスコの水を打ち振った後にジョリーの室へ駆け込んで "Es ischt so !" と叫んだのは水が「あたたまった」ためで、それが何度点何々上ったためではなかったのである。ロェンチェン線の発見が学界を驚かしたのはその波・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」