出典:青空文庫
・・・沼南が大隈参議と進退を侶にし、今の次官よりも重く見られた文部権大書記官の栄位を弊履の如く一蹴して野に下り、矢野文雄や小野梓と並んで改進党の三領袖として声望隆々とした頃の先夫人は才貌双絶の艶名を鳴らしたもんだった。 その頃私は番町の島田邸・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 良吉には仲のいい文雄という同じ年ごろの友だちがありました。二人はいつもいっしょに棒を持ったり、駆けっこをしたり、また、さおを持って河にいったりして、仲よく遊びました。 村はずれには河が流れていました。その水はたくさんできれいであり・・・ 小川未明 「星の世界から」
・・・丹羽文雄氏にもいくらか海千山千があるが、しかし丹羽氏の方が純情なだけに感じがいい。僕は昔から太宰治と坂口安吾氏に期待しているが、太宰氏がそろそろ大人になりかけているのを、大いにおそれる。坂口氏が「白痴」を書かない前から、僕は会う人ごとに、新・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・ 丹羽文雄、川端康成、市村羽左衛門、そのほか。私には、かぜ一つひいてさえ気にかかる。 追記。本誌連載中、同郷の友たる今官一君の「海鴎の章。」を読み、その快文章、私の胸でさえ躍らされた。このみごとなる文章の行く先々を見つめ居る者、・・・ 太宰治 「もの思う葦」
余の初め歌を論ずる、ある人余に勧めて俊頼集、文雄集、曙覧集を見よという。それかくいうは三家の集が尋常歌集に異なるところあるをもってなり。まず源俊頼の『散木弃歌集』を見て失望す。いくらかの珍しき語を用いたるほかに何の珍しきこ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・の問題は、文学作品の形をとっていたから、文学者たちの注目を集め、批判をうけましたが、ひきつづきいくつかの形で二・二六実記が出て来たし、丹羽文雄の最後の御前会議のルポルタージュ、その他いわゆる「秘史」が続々登場しはじめました。なにしろあの当時・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・丹羽文雄氏が、放蕩はしてもよそへ子供は拵えない、何しろ子供にはかなわないからね、というようなことを、その常套性と旧い態度とに対して揶揄的高笑いをうける気づかいなしに、二十歳前後の若い女の座談会で云っていられる状態なのである。『文芸』十月・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・そして、それが、文学の大衆性への翹望などというものから湧いている気持ではなくて、当今、人気作家と云われている作家たちは阿部知二、岸田国士、丹羽文雄その他の諸氏の通りみな所謂純文学作品と新聞小説と二股かけていて、新聞小説をかくことで、その作家・・・ 宮本百合子 「おのずから低きに」
松山文雄さんがこの頃益々一心に画業をはげんで居られることは友人たちの間で知らぬものはないと思います。 清潔な生活感情をもちつづけて、芸術家が今日成長を重ねてゆくのはまことに一事業です。清潔であって生々とした美感に溢れた・・・ 宮本百合子 「健康な美術のために」
・・・丹羽文雄が主体性ぬきの現実反映のリアリズムからぬけ出て、少くとも歴史の前進する角度をふくんだドキュメンタリーな作品へ進もうとして、一九四九年にはその素材の選択そのものにおいて、まず歴史的なふるいわけが必要であることを発見したと思われる。「塩・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」