出典:青空文庫
・・・という蕪村の句を思い出した。 戦場が原 枯草の間を沼のほとりへ出る。 黄泥の岸には、薄氷が残っている。枯蘆の根にはすすけた泡がかたまって、家鴨の死んだのがその中にぶっくり浮んでいた。どんよりと濁った沼の水には青空・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・がない、物知りなどには到底なれないのが、茶人の本来である、されば著書などあるものであったらそれは必ず商買茶人俗茶人の素人おどしと見て差支ない、原来趣味多き人には著述などないが当前であるかも知れぬ、芭蕉蕪村などあれだけの人でも殆ど著述がない、・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・が、師伝よりは覚猷、蕪村、大雅、巣兆等の豪放洒落な画風を学んで得る処が多かったのは一見直ちに認められる。 かつ何でも新らしもの好きで、維新後には洋画を学んで水彩は本より油画までも描いた。明治の初年に渡来した英国人の画家ワグマンとも深く交・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・少なくも本邦のトーキー脚色者には試みに芭蕉蕪村らの研究をすすめたいと思う。 未来の映画のテクニックはどう進歩するか。次に来るものは立体映画であろうか。これも単に双眼的効果によるものでなく、実際に立体的の映像を作ることも必ずしも不可能とは・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・あるいは支那人や大雅堂蕪村やあるいは竹田のような幻像が絶えず眼前を横行してそれらから強い誘惑を受けているように見える。そしてそれらに対抗して自分の赤裸々の本性を出そうとする際に、従来同君の多く手にかけて来た図案の筆法がややもすれば首を出した・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・ 昔、ラスキンが人から剽窃呼ばわりをされたのに答えて、独創ということも、結局はありったけの古いものからうまい汁を吸って自分の栄養にしてからの仕事だというような意味のことを言った。 蕪村は「諸流を尽くしこれを一嚢中にたくわえ自らよくそ・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・七部集の連句がおもしろいのは、それぞれ特色を異にした名手が参加している上に、一代の名匠が指揮棒をふるっているためである。蕪村七部集が艶麗豪華なようで全体としてなんとなく単調でさびしいのは、吹奏楽器の音色の変化に乏しいためと思われる。芭蕉の名・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・だれでもが指揮者になれない理由はそこにあり、芭蕉七部集の連句には一芭蕉の存在を必須とした理由もここにあり、さらにまたたとえば蕪村七部集の見劣りする理由もここにあるのであろう。 芭蕉は指揮者であるのみならず、おそらくまた一種の作曲者ででも・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・「軸ものも何やら知らんけれど、いいものだそうだ。たぶん山水だったと思う。それも辰之助が表装をしてやると言うて、持っていったきり、しらん顔をしているんですもの」「蕪村じゃないかな」「何だか忘れたけれど。今度そう言って持ってきてもら・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 襖の画は蕪村の筆である。黒い柳を濃く薄く、遠近とかいて、寒むそうな漁夫が笠を傾けて土手の上を通る。床には海中文殊の軸が懸っている。焚き残した線香が暗い方でいまだに臭っている。広い寺だから森閑として、人気がない。黒い天井に差す丸行灯の丸・・・ 夏目漱石 「夢十夜」