出典:青空文庫
・・・その頃村山龍平の『国会新聞』てのがあって、幸田露伴と石橋忍月とが文芸部を担任していたが、仔細あって忍月が退社するので、その後任として私を物色して、村山の内意を受けて私の人物見届け役に来たのだそうだ。その時分緑雨は『国会新聞』の客員という資格・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・いよいよ済まぬ事をしたと、朝飯もソコソコに俥を飛ばして紹介者の淡嶋寒月を訪い、近来破天荒の大傑作であると口を極めて激賞して、この恐ろしい作者は如何なる人物かと訊いて、初めて幸田露伴というマダ青年の秀才の初めての試みであると解った。 翁は・・・ 内田魯庵 「露伴の出世咄」
・・・と云って、当時の文学者としては相応な酬いを受けていた露伴氏の事を、羨んで話した事があったが、それほど貧しく暮さなければならない境涯で、そのためには異人の仕事をしたり、それから『平和』という宗教雑誌を編輯したりした事があるように記憶している。・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・その人の脳裡に在るのは、夏目漱石、森鴎外、尾崎紅葉、徳富蘆花、それから、先日文化勲章をもらった幸田露伴。それら文豪以外のひとは問題でないのである。それは、しかし、当然なことなのである。文豪以外は、問題にせぬというその人の態度は、全く正しいの・・・ 太宰治 「困惑の弁」
・・・釣の妙趣は、魚を多量に釣り上げる事にあるのでは無くて、釣糸を垂れながら静かに四季の風物を眺め楽しむ事にあるのだ、と露伴先生も教えているそうであるが、佐野君も、それは全くそれに違いないと思っている。もともと佐野君は、文人としての魂魄を練るため・・・ 太宰治 「令嬢アユ」
・・・というような純文芸雑誌が現われて、露伴紅葉等多数の新しい作家があたかもプレヤデスの諸星のごとく輝き、山田美妙のごとき彗星が現われて消え、一葉女史をはじめて多数の閨秀作者が秋の野の草花のように咲きそろっていた。外国文学では流行していたアーヴィ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
昔シナで鐘を鋳た後にこれに牛羊の鮮血を塗ったことが伝えられている。しかしそれがいかなる意味の作業であったかはたしかにはわからないらしい。この事について幸田露伴博士の教えを請うたが、同博士がいろいろシナの書物を渉猟された結果・・・ 寺田寅彦 「鐘に釁る」
・・・などが並立して露伴、紅葉、美妙斎、水蔭、小波といったような人々がそれぞれの特色をもってプレアデスのごとく輝いていたものである。氏らが当時の少青年の情緒的教育に甚大な影響を及ぼしたことはおそらくわれわれのみならずまたいわゆる教育家たちの自覚を・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・幸田露伴氏の七部集諸抄や、阿部小宮その他諸学者共著の芭蕉俳諧研究のシリーズも有益であった。 外国人のものでは下記のものを参照した。B. H. Chamberlain : "Bash and the Japanese Epigra・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ わたくしは或日蔵書を整理しながら、露伴先生の『言』中に収められた釣魚の紀行をよみ、また三島政行の『葛西志』を繙いた。これによって、わたくしはむかし小名木川の一支流が砂村を横断して、中川の下流に合していた事を知った。この支流は初め隠坊堀・・・ 永井荷風 「放水路」