出典:青空文庫
・・・班女といい、業平という、武蔵野の昔は知らず、遠くは多くの江戸浄瑠璃作者、近くは河竹黙阿弥翁が、浅草寺の鐘の音とともに、その殺し場のシュチンムングを、最も力強く表わすために、しばしば、その世話物の中に用いたものは、実にこの大川のさびしい水の響・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・が、坪内君が『桐一葉』を書いた時は団十郎が羅馬法王で、桜痴居士が大宰相で、黙阿弥劇が憲法となってる大専制国であった。この間に立って論難批評したり新脚本を書いたりするはルーテルが法王の御教書を焼くと同一の勇気を要する。『桐一葉』は勿論『書生気・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・それが近松や黙阿弥張りにおもしろくつづられていたものである。これは実に愉快な読み物であったが、さすがにこのごろはそういうのは、少なくも都下の新聞にはまれなようである。しかし、本質的にはこれと同様な記事は今でも日々の新聞に捜せばいくらでも発見・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・明治初期を代表するような白シャツを着込んで、頭髪は多くは黙阿弥式にきれいに分けて帽子はかぶらず、そのかわりに白張りの蝙蝠傘をさしていた。その傘に大きく、たしか赤字で千金丹と書いてあったような気がする。小さな、今で言えばスーツケースのような格・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・劇壇において芝翫、彦三郎、田之助の名を挙げ得ると共に文学には黙阿弥、魯文、柳北の如き才人が現れ、画界には暁斎や芳年の名が轟き渡った。境川や陣幕の如き相撲はその後には一人もない。円朝の後に円朝は出なかった。吉原は大江戸の昔よりも更に一層の繁栄・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・京伝一九春水種彦を始めとして、魯文黙阿弥に至るまで、少くとも日本文化の過去の誇りを残した人々は、皆おのれと同じようなこの日本の家の寒さを知っていたのだ。しかして彼らはこの寒さと薄暗さにも恨むことなく反抗することなく、手錠をはめられ板木を取壊・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 町中の堀割に沿うて夏の夕を歩む時、自分は黙阿弥翁の書いた『島鵆月白浪』に雁金に結びし蚊帳もきのふけふ――と清元の出語がある妾宅の場を見るような三味線的情調に酔う事がしばしばある。 観潮楼の先生もかつて『染めちがえ』と題する短篇小説・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・それが今、自分の眼にはかえって一層適切に、黙阿弥、小団次、菊五郎らの舞台をば、遺憾なく思い返させた。あの貸舟、格子戸づくり、忍返し……。 折もよく海鼠壁の芝居小屋を過ぎる。しかるに車掌が何事ぞ、「スントミ町。」と発音した。 丸髷・・・ 永井荷風 「深川の唄」