出典:青空文庫
・・・あの会合は本尊が私設外務大臣で、双方が探り合いのダンマリのようなもんだったから、結局が百日鬘と青隈の公卿悪の目を剥く睨合いの見得で幕となったので、見物人はイイ気持に看惚れただけでよほどな看功者でなければドッチが上手か下手か解らなかった。あア・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・ 三 世界の屋根 この映画で自分のもっとも美しいと思った場面はおおぜいの白衣の回教徒がラマダンの断食月に寺院の広場に集まって礼拝する光景である。だがせっかくのこのおもしろい場面をつまらぬこしらえものの活劇で打ちこわし・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 二 二四八頁にはカルダンダンという地方の風俗が述べてある。その中に、この地方の人は男女ともに黄金の薄い板を歯にかぶせて飾りにするとある。 この金の板の着せ方がよく分らないのであるが、とにかく現代の吾等の・・・ 寺田寅彦 「マルコポロから」
・・・るか一通りの挨拶をするのが礼だそうだが、落天の奇想を好む余はさような月並主義を採らない、いわんやベルを鳴したり手を挙げたり、そんな面倒な事をする余裕はこの際少しもなきにおいてをやだ、ここにおいてかこのダンマリ転換を遂行するのも余にとっては万・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・ 聖ダンテの「神曲」は、何故今日まで不朽に生命を受けて居るか。 永遠に変らざる「真」がその一言の中にも輝いて居るからでは無いか。 ホーマーもミルトンも、只「真」の一字がある故に尊いではないか。 孔子、基督、その他あらゆる人々・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・かれは糸の切れっ端を拾い上げて、そして丁寧に巻こうとする時、馬具匠のマランダンがその門口に立ってこちらを見ているのに気がついた。この二人はかつてある跛人の事でけんかをしたことがあるので今日までも互いに恨みを含んで怒り合っていた。アウシュコル・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」