・・・もっとも前後にたった一度、お松がある別荘番の倅と「お」の字町へ行ったとか聞いた時には別人のように怒ったそうです。これもあるいは幾分か誇張があるかも知れません。けれども婆さんの話したままを書けば、半之丞は(作者註。田園的嫉妬の表白としてさもあ・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・きっとまた御隣の別荘の坊ちゃんが、悪戯をなすったのでございますよ。」「いいえ、御隣の坊ちゃんなんぞじゃなくってよ。何だか見た事があるような――そうそう、いつか婆やと長谷へ行った時に、私たちの後をついて来た、あの鳥打帽をかぶっている、若い・・・ 芥川竜之介 「影」
土用波という高い波が風もないのに海岸に打寄せる頃になると、海水浴に来ている都の人たちも段々別荘をしめて帰ってゆくようになります。今までは海岸の砂の上にも水の中にも、朝から晩まで、沢山の人が集って来て、砂山からでも見ていると・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・ 橋本さんで朝御飯のごちそうになって、太陽が茂木の別荘の大きな槙の木の上に上ったころ、ぼくたちはおじさんに連れられて家に帰った。 いつのまに、どこからこんなに来たろうと思うほど大ぜいの人がけんか腰になって働いていた。どこからどこまで・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・ある年の冬番人を置いてない明別荘の石段の上の方に居処を占めて、何の報酬も求めないで、番をして居た。夜になると街道に出て声の嗄れるまで吠えた。さて草臥れば、別荘の側へ帰って独で呟くような声を出して居た。 冬の夜は永い。明別荘の黒い窓はさび・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・かつて少年の頃、師家の玄関番をしていた折から、美しいその令夫人のおともをして、某子爵家の、前記のあたりの別荘に、栗を拾いに来た。拾う栗だから申すまでもなく毬のままのが多い。別荘番の貸してくれた鎌で、山がかりに出来た庭裏の、まあ、谷間で。御存・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・的にも主観的にも、一に曰く清潔二に曰く整理三に曰く調和四に曰く趣味此四つを経とし食事を緯とせる詩的動作、即茶の湯である、一家の斉整家庭の調和など殆ど眼中になく、さアと云えば待合曰く何館何ホテル曰く妾宅別荘、さもなければ徒に名利の念に耽って居・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
今年の夏休みに、正雄さんは、母さんや姉さんに連れられて、江の島の別荘へ避暑にまいりました。正雄さんは海が珍しいので、毎日朝から晩まで、海辺へ出ては、美しい貝がらや、小石などを拾い集めて、それをたもとに入れて、重くなったのをかかえて家へ・・・ 小川未明 「海の少年」
・・・ 惣治は時々別荘へでも来る気で、子供好きなところから種々な土産物など提げては、泊りがけでG村を訪ねた。「閑静でいいなあ、別世界へでも来た気がする。終日他人の顔を見ないですむという生活だからなあ」 惣治はいつもそう言った。……・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・て、何処から現われたのか少も気がつかなかったので、恰も地の底から湧出たかのように思われ、自分は驚いて能く見ると年輩は三十ばかり、面長の鼻の高い男、背はすらりとしたやさがた、衣装といい品といい、一見して別荘に来て居る人か、それとも旅宿を取って・・・ 国木田独歩 「運命論者」
出典:青空文庫