出典:gooニュース
鮎川義介の手帳、昭和14年の米大使との面会はオフレコ会合か 関西学院大学の井口治夫教授
日産コンツェルンの創業者、鮎川義介(あいかわよしすけ)の未公開の手帳50冊以上が現存していたことが24日、分かった手帳について、『鮎川義介と経済的国際主義』の著者、井口治夫・関西学院大国際学部教授(米政治外交史、日米関係)に聞いた。◇「(手帳にある)昭和14年のグルー米駐日大使らとの面会は、米国務省の資料などからドゥーマン参事官との会談だけだと思われていた。
満州の大物、鮎川義介の手帳には岸信介の名が頻繁に 豊富な資金力、「X資金」の記述も
日産コンツェルンの創業者、鮎川義介(あいかわよしすけ)の未公開の手帳50冊以上が現存していたことが24日、分かった。鮎川は戦前、戦後を通じて豊富な資金力を誇っていた。手帳には、「カネ」にまつわる記述も多い。現金、証券…現在なら億円単位不動産、証券、現金など個人資産の記録は定期的に記されていた。戦争末期の昭和19年の現金と証券はそれぞれ十数万円ずつ。
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