たなか‐とつげん【田中訥言】
[1767〜1823]江戸後期の画家。尾張の人。京都に出て土佐派を学んだが、のち大和絵の古典を研究し、復古大和絵派の祖となった。
つるが‐わかさのじょう【鶴賀若狭掾】
[1717〜1786]新内節の太夫・作曲者。越前敦賀の人。宮古路加賀太夫(のち富士松薩摩掾(さつまのじょう))の門から出て、鶴賀派を創始。2世鶴賀新内とともに新内節を大成、「明烏(あけがらす)」...
とうしょう‐だいごんげん【東照大権現】
徳川家康の勅諡号(ちょくしごう)。死の翌年、後水尾天皇から贈られたもの。
とうふく‐もんいん【東福門院】
[1607〜1678]後水尾天皇の中宮。徳川秀忠の娘。名は和子。徳川幕府の朝廷対策により、14歳で入内。明正天皇の母。
とがし‐まさちか【富樫政親】
[1455〜1488]室町中期の武将。加賀の人。応仁の乱で細川氏の東軍に属し、蓮如の後援で西軍についた弟幸千代丸を退けて加賀を支配した。のち、本願寺門徒の一向一揆と争い、高尾城に敗死。
とくがわ‐むねはる【徳川宗春】
[1696〜1764]尾張藩第7代藩主。商業を重視し放任政策をとったため、8代将軍吉宗の享保の改革と対立、幕府から隠居させられる。著書「温知政要」は絶版処分。
ふるかわ‐いちべえ【古河市兵衛】
[1832〜1903]実業家。京都の生まれ。本姓は木村。小野組古河太郎左衛門の養子。足尾など多くの鉱山を経営。古河財閥の基礎を築いた。
ほり‐きょうあん【堀杏庵】
[1585〜1643]江戸初期の儒学者。近江(おうみ)の人。名は正意(まさおき)。儒学を藤原惺窩(ふじわらせいか)に学んだ。寛永8年(1631)より尾張藩儒官、のち、幕命で「寛永諸家系図伝」を編...
よしだ‐ただし【吉田正】
[1921〜1998]作曲家。茨城の生まれ。フランク永井、橋幸夫、松尾和子ら多くの歌手を育て、「有楽町で逢いましょう」「いつでも夢を」「誰よりも君を愛す」など、数々のヒット曲を手がけた。没後、国...
よしみ‐よしかず【吉見幸和】
[1673〜1761]江戸中期の国学者・神道家。尾張の人。名は「ゆきかず」とも。名古屋東照宮の祠官。文献学的研究に専心。「五部書説弁」を著して、神道五部書が偽書であることを論証。ほかに著「神代正...