ひろせ‐いぜん【広瀬惟然】
[?〜1711]江戸前期の俳人。美濃の人。通称、源之丞。別号、素牛・鳥落人など。芭蕉の門人。師の没後、諸国を放浪。新奇軽妙な句風で口語調も試み、一茶らの先駆とされる。編著「藤の実」「二葉集」など。
ひろせ‐きょくそう【広瀬旭荘】
[1807〜1863]江戸末期の儒学者・漢詩人。豊後(ぶんご)の人。名は謙。淡窓の弟。兄を継いで咸宜園(かんぎえん)を経営。著「梅墩(ばいとん)詩鈔」。
ひろせ‐たけお【広瀬武夫】
[1868〜1904]軍人。海軍中佐。大分の生まれ。日露戦争中、旅順港閉鎖にあたり、自沈船の福井丸を指揮し、行方不明の杉野孫七兵曹長を退避の最後まで捜すうち、ボート上で被弾戦死。軍神とうたわれた。
ひろせ‐たんそう【広瀬淡窓】
[1782〜1856]江戸後期の儒学者。豊後(ぶんご)の人。名は建。字(あざな)は子基。別号、青渓など。咸宜園(かんぎえん)を開き、子弟を教育。大村益次郎・高野長英はその弟子。著「遠思楼詩鈔」「...