・・・して見ると昨夜は全く狸に致された訳かなと、一人で愛想をつかしながら床屋を出る。 台町の吾家に着いたのは十時頃であったろう。門前に黒塗の車が待っていて、狭い格子の隙から女の笑い声が洩れる。ベルを鳴らして沓脱に這入る途端「きっと帰っていらっ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・大分愛想尽しをおっしゃるね」「言いますとも。ねえ、小万さん」「へん、また後で泣こうと思ッて」「誰が」「よし。きっとだね」と、西宮は念を押す。「ふふん」と、吉里は笑ッて、「もう虐めるのはたくさん」 店梯子を駈け上る四五・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・で、自分の理想からいえば、不埒な不埒な人間となって、銭を取りは取ったが、どうも自分ながら情ない、愛想の尽きた下らない人間だと熟々自覚する。そこで苦悶の極、自ら放った声が、くたばって仕舞え! 世間では、私の号に就ていろんな臆説を伝えている・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・見つけ私の注文にはかなった訳ですが、私と一緒にいる友達は反対に極めて日本室好みで、折角説き落して洋館説に同意して貰ったまではよかったのですが、見たその洋館というのが特別ひどいところだったので、すっかり愛想をつかされてしまいました。仕方がない・・・ 宮本百合子 「愛と平和を理想とする人間生活」
・・・最後のクライマックスで、封建社会での王は最も頼みにしているルスタムの哀訴さえ自身の権勢を安全にするためには冷笑して拒んだ非人間らしさを描き出している。「渋谷家の始祖」は一九一九年のはじめにニューヨークで書かれた。二十一歳になった作者が、・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・の老婆の、あの哀訴にみちた瞳の光りが描けたろう。 ケーテのスケッチに充ちている偽りなさと生活の香の色の濃厚さは、私たちにゴーリキイの「幼年時代」「私の大学」「どん底」などの作品にある光と陰との興味つきない錯綜を思いおこさせる。また魯迅が・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・はっきり 我ことと 思われるではありませんか。又、今日は哀愁の満ちたベルレーヌの詩をよみルドン、マチス、クリムトの絵を見る。実に近代の心、思いが犇々と胸に来る。哀訴や、敏感や、細胞の憂愁は全く都会人、文明人の特質・・・ 宮本百合子 「初夏(一九二二年)」
・・・まして国鉄本省にあらわれた下山氏がとりみだしていたという姿は、一日に千余通送られていた人民の哀訴の手紙と、権力に奉仕する官僚としての板ばさみの立場に苦しむ同氏の心の乱れのほかではないだろう。 死の過程がどうであったにしろ、下山氏の死の本・・・ 宮本百合子 「「推理小説」」
・・・を唱いながら皇帝へ哀訴にやって来た。群衆の中には無数の女子供があった。彼らがひざまずいて祈りはじめ哀号しはじめると、皇帝ニコライは慈愛深い父たる挨拶として無警告の一斉射撃を命じた。灰色の官給長外套を着たプロレタリアートの子が命令の意味を理解・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・また日々の細かい屈辱に心を咬まれるとき、ゴーリキイは、自分の不愉快な負担をじっと考えさえすれば、骨を折らないでも哀訴の言葉が詩の形で流れ出した。ゴーリキイが晩年に及んでも忘れなかったこの時代の「自分の祈祷文」の中に一つこういう詩があった。・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫