・・・トロッコは三人が乗り移ると同時に、蜜柑畑のにおいを煽りながら、ひた辷りに線路を走り出した。「押すよりも乗る方がずっと好い」――良平は羽織に風を孕ませながら、当り前の事を考えた。「行きに押す所が多ければ、帰りに又乗る所が多い」――そうもまた考・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・彼れは馬力の上に安座をかいて瓶から口うつしにビールを煽りながら濁歌をこだまにひびかせて行った。幾抱えもある椴松は羊歯の中から真直に天を突いて、僅かに覗かれる空には昼月が少し光って見え隠れに眺められた。彼れは遂に馬力の上に酔い倒れた。物慣れた・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 思出す、あの……五十段ずつ七折ばかり、繋いで掛け、雲の桟に似た石段を――麓の旅籠屋で、かき玉の椀に、きざみ昆布のつくだ煮か、それはいい、あろう事か、朝酒を煽りつけた勢で、通しの夜汽車で、疲れたのを顧みず――時も八月、極暑に、矢声を掛け・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ この煽りに、婆さんが座右の火鉢の火の、先刻からじょうに成果てたのが、真白にぱっと散って、女の黒髪にも婆さんの袖にもちらちらと懸ったが、直ぐに色も分かず日は暮れたのである。「お米さん、まあ、」と抱いたまま、はッはッいうと、絶ゆげな呼・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・途端に二三尺あとへ引いて、薄波を一煽り、その形に煽るや否や、人の立つごとく、空へ大なる魚が飛んだ。 瞬間、島の青柳に銀の影が、パッと映して、魚は紫立ったる鱗を、冴えた金色に輝やかしつつ颯と刎ねたのが、飜然と宙を躍って、船の中へどうと落ち・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ ――馬だ――馬だ――馬だ―― 遠く叫んだ、声が響いて、小さな船は舳を煽り、漁夫は手を挙げた。 その泳いだ形容は、読者の想像に任せよう。 巳の時の夫人には、後日の引見を懇請して、二人は深く礼した。 そのまま、沼津に向って・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・画家 (無言にて、罎夫人 (ウイスキーを一煽りに、吻爺さん、肴をなさいよ。人形使 口上擬に、はい小謡の真似でもやりますか。夫人 いいえ、その腐った鯉を、ここへお出しな。人形使 や。夫人 お出しなね。刃ものはないの。・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・彼はしきりにこうした気持を煽りたてて出かけて行ったのだが、舅には、今さら彼を眼前に引据えて罵倒する張合も出ないのであった。軽蔑と冷嘲の微笑を浮べて黙って彼の新生活の計画というものを聴いていたが、結局、「それでは仕度をさせて一両日中に遣ること・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・しかし大煽りに煽ったのは秀吉であった。奥州武士の伊達政宗が罪を堂ヶ島に待つ間にさえ茶事を学んだほど、茶事は行われたのである。勿論秀吉は小田原陣にも茶道宗匠を随えていたほどである。南方外国や支那から、おもしろい器物を取寄せたり、また古渡の物、・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・湯をと乞うに、主人の妻、少時待ちたまえ、今沸かしてまいらすべしとて真黒なる鉄瓶に水を汲み入るれば、心長き事かなと呆れて打まもるに、そを火の上に懸るとひとしく、主人吹革もて烈しく炭火を煽り、忽地にして熱き茶をすすめくれたる、時に取りておかしく・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
出典:青空文庫