・・・ 何しろ、この明りでは、男客にしろ、一所に入ると、暗くて肩も手も跨ぎかねまい。乳に打着かりかねまい。で、ばたばたと草履を突っ掛けたまま引き返した。「もう、お上がりになりまして?」と言う。 通いが遠い。ここで燗をするつもりで、お米・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・さし俯向いた頸のほんのり白い後姿で、捌く褄も揺ぐと見えない、もの静かな品の好さで、夜はただ黒し、花明り、土の筏に流るるように、満開の桜の咲蔽うその長坂を下りる姿が目に映った。 ――指を包め、袖を引け、お米坊。頸の白さ、肩のしなやかさ、余・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ここに浮いていたというあたりは、水草の藻が少しく乱れているばかり、ただ一つ動かぬ静かな濁水を提灯の明りに見れば、ただ曇って鈍い水の光り、何の罪を犯した色とも思えない。ここからと思われたあたりに、足跡でもあるかと見たが下駄の跡も素足の跡も見当・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・ そう云って莞爾笑うのさ、器量がえいというではないけど、色が白くて顔がふっくりしてるのが朝明りにほんのりしてると、ほんとに可愛い娘であった。 お前とこのとッつぁんも、何か少し加減が悪いような話だがもうえいのかいて、聞くと、おやじが永・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・ もとの道を自分の家の方へ歩んで行くと、暗いところがあったり、明るいところがあったり、ランプのあかりがさしたり、電燈の光が照らしたり――その明暗幽照にまでも道のでこぼこが出来て――ちらつく眼鏡越しの近眼の目さきや、あぶなッかしい足もとか・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・その頃どこかの気紛れの外国人がジオラマの古物を横浜に持って来たのを椿岳は早速買込んで、唯我教信と相談して伝法院の庭続きの茶畑を拓き、西洋型の船に擬えた大きな小屋を建て、舷側の明り窓から西洋の景色や戦争の油画を覗かせるという趣向の見世物を拵え・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・その途端に列車は動き出し、窓からサヨナラを交換したが、狭い路を辿って帰る淋しい背影が月明りに霞んで見えた。二葉亭の健康の衰え初めたのはその頃からであった。八 対島沖の大海戦の二日後 最も元気だったのは日露戦争中であった。大阪・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・と、うす明かりの下で、バイオリンを抱いて少年は、つばめの飛んでゆく北の空をながめていました。 松蔵は、唄うたいとなりました。かつて、おじいさんがそうであったように、脊中に、小さな薬箱を負って、バイオリンを弾きながら、知らぬ他国を旅して歩・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・そして、みんなと別れて、一人で、あちらにぶらり、こちらにぶらり、千鳥足になって、広い野原を、星明かりで歩いてきたのだ。」と、おじいさんは話しました。 みんなは、不思議なことがあったものだと思いました。「よく星明かりで、雪道がわかりま・・・ 小川未明 「大きなかに」
・・・きれいな花に見えたのは、でんとうのあかりでした。外へ出ようとすると、ガラス戸につきあたりました。「やあ、しまった。」と、子ちょうは気をもみました。「きれいなちょうちょうだなあ。」「まあ、きれいなちょうだこと。」 そのとき、こ・・・ 小川未明 「花とあかり」
出典:青空文庫