・・・ しばらく無言が続いた後、浅川の叔母は欠伸まじりに、こう洋一へ声をかけた。「ええ、――姉さんも今夜はするって云うから、――」「慎ちゃんは?」 お絹は薄いまぶたを挙げて、じろりと慎太郎の顔を眺めた。「僕はどうでも好い。」・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・その拍子に膝の三毛猫は、彼女の膝を飛び下りると、毛並みの美しい背を高くして、快さそうに欠伸をした。「そんな気は誰でも致すものでございますよ。爺やなどはいつぞや御庭の松へ、鋏をかけて居りましたら、まっ昼間空に大勢の子供の笑い声が致したとか・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・その真中に切られた囲炉裡にはそれでも真黒に煤けた鉄瓶がかかっていて、南瓜のこびりついた欠椀が二つ三つころがっていた。川森は恥じ入る如く、「やばっちい所で」といいながら帳場を炉の横座に招じた。 そこに妻もおずおずと這入って来て、恐・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・聞くに堪えないような若者どもの馬鹿話も自然と陰気な気分に押えつけられて、動ともすると、沈黙と欠伸が拡がった。「一はたりはたらずに」 突然仁右衛門がそういって一座を見廻した。彼れはその珍らしい無邪気な微笑をほほえんでいた。一同は彼れの・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・の木の実に小遣を出して、枝を蔓を提げるのを、じろじろと流眄して、世に伯楽なし矣、とソレ青天井を向いて、えへらえへらと嘲笑う…… その笑が、日南に居て、蜘蛛の巣の影になるから、鳥が嘴を開けたか、猫が欠伸をしたように、人間離れをして、笑の意・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・の景気づけに、縁日の夜は縁起を祝って、御堂一室処で、三宝を据えて、頼母子を営む、……世話方で居残ると……お燈明の消々時、フト魔が魅したような、髪蓬に、骨豁なりとあるのが、鰐口の下に立顕れ、ものにも事を欠いた、断るにもちょっと口実の見当らない・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・活動を恐れるのは向上心求欲心の欠乏に外ならぬ。おれはえらい者にならんでもよいと云うのが間違っている。えらい者になる気が少しもなくても、人間には向上心求欲心が必要なのだ。人生の幸福という点よりそれが必要なのだ。向上心の弱い人は、生命を何物より・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・或は、他のことを考えたり、或は、別のことを思ったりしていたら、結局欠伸をしたり、横を向いたり、つゝき合ったりしている、お行儀の悪い子供たちと、どこにもちがいがないでありましょう。 凡そ、お母さんや、お姉さんが、真理に対して功利的に考えず・・・ 小川未明 「読んできかせる場合」
・・・ 私の徹夜癖は十九歳にはじまり、その後十年間この癖がなおらず、ことに近年は仕事に追われる時など、殆んど一日も欠さず徹夜することがしばしばである。それ故、およそ一年中の夜明けという夜明けを知っていると言ってもよいくらいだが、夜明けの美しい・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・ 新次はしょっちゅう来馴れていて、二つ井戸など少しも珍らしくないのでしょう、しきりに欠伸などしていたが、私はしびれるような夜の世界の悩ましさに、幼い心がうずいていたのです。そして前方の道頓堀の灯をながめて、今通ってきた二つ井戸よりもなお・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫