・・・じゃが時刻も遅いでな、……見なさる通り、燈明をしめしておるが、それともに点けるであすか。」「それがでございます。」 と疲れた状にぐたりと賽銭箱の縁に両手を支いて、両の耳に、すくすくと毛のかぶさった、小さな頭をがっくりと下げながら、・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・あ、ちょっと、と言って、私は飛鳥の如く奥の部屋に引返し、ぎょろりと凄くあたりを見廻し、矢庭にお膳の寒雀二羽を掴んでふところにねじ込み、それからゆっくり玄関へ出て行って、「わすれもの。」と嗄れた声で嘘を言った。 お篠はお高祖頭巾をかぶ・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・そのとしの暑中休暇に、故郷へ帰る途中、汽車がそのASという温泉場へも停車したので、私は、とっさの中に覚悟をきめ、飛鳥の如く身を躍らせて下車してしまった。 その夜、私は浪と逢った。浪は、太って、ずんぐりして、ちっとも美しくなかった。私は、・・・ 太宰治 「デカダン抗議」
・・・メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、流石に・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・利ちゃんが何かいたずらでもした時に叱りつける声はどうしてこの細いかよわい咽から出るのかと思うようで、何か御使いでも云いつけらるると飛鳥のように飛んで出て疾風のごとく帰って来る。こう云う性質のためであるか、雪ちゃんの友達は多く自分より年下の男・・・ 寺田寅彦 「雪ちゃん」
・・・今度のは、私の郷国の名前では、柳雲飛鳥といいます。柳はサリックス、バビロニカ、です。飛鳥は燕です。日本でも、柳と燕を云いますか。」「云います。そしてよく覚えませんが、たしか私の方にも、その狼煙はあった筈ですよ。いや花火だったかな。それと・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・この重大な契機は、思想が急激に発達した飛鳥寧楽時代においても失われなかった。天皇は、宇宙を支配せる「道」の代表者或いは象徴である。天平時代の詔勅にしばしば現われているごとく、天皇の位を充たされる個人としては、謙遜して「薄徳」と称せられたが、・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・その後二十年くらいたって、奈良の飛鳥園が撮影しに行き、『雲岡石窟大観』という写真集を出した。水野精一君たちの精密な実地踏査が始まったのもそのころで、その成果『雲岡石窟』十五巻の刊行が終わったのは、つい数年前のことである。これで雲岡遣蹟の紹介・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫