・・・ が、乳色の、磨硝子の靄を通して灯を見るように、監獄の厚い壁を通して、雑音から街の地理を感得するように、彼の頭の中に、少年が不可解な光を投げた。 靄の先の光は、月であるか、電燈であるか、又は窓であるか、は解らなかったが光である事は疑・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・あの女神達は素足で野の花の香を踏んで行く朝風に目を覚し、野の蜜蜂と明るい熱い空気とに身の周囲を取り巻かれているのだ。自然はあれに使われて、あれが望からまた自然が湧く。疲れてもまた元に返る力の消長の中に暖かい幸福があるのだ。あれあれ、今黄金の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・蜜柑は皮の厚いのに酸味が多くて皮の薄いのに甘味が多い。貯えた蜜柑の皮に光沢があって、皮と肉との間に空虚のあるやつは中の肉の乾びておることが多い。皮がしなびて皺がよっているようなやつは必ず汁が多くて旨い。○くだものの嗜好 菓物は淡泊なもの・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・日本の本州ばかりでいっても、南方の熱い処には蜜柑やザボンがよく出来て、北方の寒い国では林檎や梨がよく出来るという位差はある。まして台湾以南の熱帯地方では椰子とかバナナとかパインアップルとかいうような、まるで種類も味も違った菓物がある。江南の・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・そうして宿屋を出る時は最早九時にも十時にもなって居る事があって詰り朝の涼い間をかえって宿屋で費し暑い盛りを歩かねばならぬような事になる。それは恐らく実験のない人には気の附かぬ事である。 余は行脚的旅行は多少の経験があるが、しかしこの紀行・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・私は暑いので、すっかりはだかになって泳ぐ時のようなかたちをしていましたが、すぐその白い岩を走って行ってみました。そのあしあとは、いままでのとはまるで形もちがい、よほど小さかったのです、あるものは水の中にありました。水がもっと退いたらまだまだ・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・それからも一つは熱いということだ。火ならばなんでも熱いものだ。それはいつでも乾かそう乾かそうとしている。斯う云う工合に火には二つの性質がある。なぜそうなのか。それは火の性質だから仕方ない。そう云う、熱いもの、乾かそうとするもの、光るもの、照・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・ その時窓にはまだ厚い茶いろのカーテンが引いてありましたので室の中はちょうどビール瓶のかけらをのぞいたようでした。ですから私も挨拶しました。「お早う。蜂雀。ペムペルという人がどうしたっての。」 蜂雀がガラスの向うで又云いました。・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
・・・の調子は、そのメロディーを失って熱いテムポにかわった。情感へのアッピールの調子から理性への説得にうつった。 この時期の評論が、どのように当時の世界革命文学の理論の段階を反映し、日本の独自な潰走の情熱とたたかっているかということについての・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・盆地で暑いせいだろう、前庭に丸太で組んだヤグラのようなすずみ台をこしらえて、西陽のさす方へコモをたらして、そこで女が縫いものをしたり、子供がひるねしたりしていた。 秋田、山形辺は、食糧危機がひどくなってから、主食買い出しの全国的基地とな・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
出典:青空文庫