・・・やがて鼠は網目の一つへ鼻を突っ込んだまま動かなくなった。白い泡が鼠の口から最後に泛んだ。…… 堯は五六年前は、自分の病気が約束している死の前には、ただ甘い悲しみを撒いただけで通り過ぎていた。そしていつかそれに気がついてみると、栄養や安静・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・私はただ漠然と日常の世界に張り渡された因果の網目の限りもない複雑さを思い浮べるに過ぎなかった。 あらゆる方面から来る材料が一つの釜で混ぜられ、こなされて、それからまた新しい一つのものが生れるという過程は、人間の精神界の製作品にもそれに類・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
浮世絵というものに関する私の知識は今のところはなはだ貧弱なものである。西洋人の書いた、浮世絵に関する若干の書物のさし絵、それも大部分は安っぽい網目版の複製について、多少の観察をしたのと、展覧会や収集家のうちで少数の本物を少・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・かようにして天地間の万象は複雑きわまる網目によって無限多義的に連関している。甲から乙に移る連絡道路だけでも無限に多数に存する。それらの通路の中には国道もあり間道もあり、また人々によって通い慣れた道と、そうでないのとがある。それで今甲の影像の・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・幕末勇士などに扮した男優の顔はいかなる蛮族の顔よりもグロテスクで陰惨なものであるが、それが特別に民衆に受けると見えてそれらの網目版が至るところの店先で自分をにらみつけ、脅かし圧迫した。 長い間縁の切れていた活動映画が再び自分の日常生活の・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・手の二等辺三角形の両辺の長さが少なくも九尺くらいあり、柄竿の長さもほぼそのくらいあるかと思われ、とにかくずいぶん大きなものであるので、それを自由に操作するには相当の腕力を要するものであったように思う。網目はどのくらいの大きさであったか覚えな・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・その上にいわゆる一等三角点網を組み立てて行く、これが地図の骨格となるべき鉄骨構造である。その網目の中に二等三等の三角網を張り渡し、それに肉や皮となり雑作となる地形を盛り込んで行くのである。この一等三角点にはみんな高い山の頂上が選ばれる。・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
楽器の歴史は非常に古いものである。そして、現在ある国民やある民族に固有であるらしく見えるものでも実際はかなり複雑な因果の網目を伝わって遠い外国の楽器と親族関係になっているものらしい。もっともこれは楽器に限らずあらゆる人間の・・・ 寺田寅彦 「日本楽器の名称」
・・・それで俳句の作者はこれら季題の一つを提供するだけで、共同作者たる読者の連想の網目の一つの結び目を捕えることになる。しかしこの結び目に連絡する糸の数は無限にたくさんある。そのうちで特にある一つの糸を力強く振動させるためには、もう一つの結び目を・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・複雑な因果の網目を枠に張って掌上に指摘しうるものとした事でなければならない。 この新しい理論を完全に理解する事はそう容易な事ではないだろう。アインシュタインが自分の今度書くものを理解する人は世界じゅうに一ダースとはあるまいと言ったそうで・・・ 寺田寅彦 「春六題」
出典:青空文庫