・・・また梅が散る春寒の昼過ぎ、摺硝子の障子を閉めきった座敷の中は黄昏のように薄暗く、老妓ばかりが寄集った一中節のさらいの会に、自分は光沢のない古びた音調に、ともすれば疲れがちなる哀傷を味った事もあった。 しかしまた自分の不幸なるコスモポリチ・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・蜀山人が作にも金竜山下起二金波一 〔金竜山下に金波を起こし砕二作千金一散二墨河一 千金を砕作して墨河に散る別有三幽荘引二剰水一 別に幽荘の剰水を引ける有りて蒹葭深処月明多 蒹葭深き処月明らかなること多れり〕・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・黄ばんだ葉が蒼い冴えた空から力なさ相に竹の梢をたよってはらはらと散る。竹はうるさげにさらさら身をゆする。落葉は止むなく竹の葉を滑ってこぼれて行く。澁い枳の実は霜の降る度に甘くなって、軈て四十雀のような果敢ない足に踏まれても落ちるようになる。・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ チェイン・ローは河岸端の往来を南に折れる小路でカーライルの家はその右側の中頃に在る。番地は二十四番地だ。 毎日のように川を隔てて霧の中にチェルシーを眺めた余はある朝ついに橋を渡ってその有名なる庵りを叩いた。 庵りというと物寂び・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・うな原のうねりの中に、雪と散る浪の花を浮かすときは、底知れぬ深さを一枚の薄きに畳む。あるときは黒き地に、燃ゆる焔の色にて十字架を描く。濁世にはびこる罪障の風は、すきまなく天下を吹いて、十字を織れる経緯の目にも入ると覚しく、焔のみははたを離れ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・燃え残りのマッチの散る中に、白いものがさと動いて斜めに一の字が出来る。「とにかく旧弊な婆さんだな」「旧弊はとくに卒業して迷信婆々さ。何でも月に二三返は伝通院辺の何とか云う坊主の所へ相談に行く様子だ」「親類に坊主でもあるのかい」・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・「屋根にかぼちゃが生るようだから、豆腐屋が馬車なんかへ乗るんだ。不都合千万だよ」「また慷慨か、こんな山の中へ来て慷慨したって始まらないさ。それより早く阿蘇へ登って噴火口から、赤い岩が飛び出すところでも見るさ。――しかし飛び込んじゃ困・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・『歎異抄』に「念仏はまことに浄土に生るゝ種にてやはんべるらん、また地獄に堕つべき業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり」といえる尊き信念の面影をも窺うを得て、無限の新生命に接することができる。・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・七には物を盗心有るを去る。此七去は皆聖人の教也。女は一度嫁して其家を出されては仮令二度富貴なる夫に嫁すとも、女の道に違て大なる辱なり。 男子が養子に行くも女子が嫁入するも其事実は少しも異ならず。養子は養家を我家とし嫁は夫の家を我・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・智識の眼より見るときは、清元にもあれ常磐津にもあれ凡そ唱歌といえるものは皆人間の声に調子を付けしものにて、其調子に身の有るものは常磐津となり意気なものは清元となると、先ず斯様に言わねばならぬ筈。されど若し其の身のある調子とか意気な調子とかい・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
出典:青空文庫