・・・しかし火つけが悪い事と感じた瞬間には、本心に咎める所があって、あんな事をせなんだら善かったと思わずには居られまいと思うがどうであろうか。なかなか以てそんな事は思わぬ。それならその瞬間にはどういう事を思うて居たろうか。それは、吉三は可愛いと思・・・ 正岡子規 「恋」
・・・「あっ、あれなんだろう。あんなところにまっ白な家ができた」「家じゃない山だ」「昨日はなかったぞ」「兵隊さんにきいてみよう」「よし」 二疋の蟻は走ります。「兵隊さん、あすこにあるのなに?」「なんだうるさい、帰れ・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・ 彼の女も一度だか私の髪を埋めた事が有った事を思い出すとあんなものの手で埋められたのかと思うと髪の根元がムズムズする様だ。いやらしい。 一体秋になるといつもなら気が落ついて一年中一番冷静な頭になれる時なんだけれ共今年はそうなれない。・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・木村を知らないものが見たら、何が面白くてあんな顔をしているかと怪むことだろう。 顔を洗いに出ている間に、女中が手早く蚊を畳んで床を上げている。そこを通り抜けて、唐紙を開けると、居間である。 机が二つ九十度の角を形づくるように据えて、・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ユリアが警部にこう云ったのは無理も無い。あんなやくざもののツァウォツキイを、死んだあとになってまで可哀く思うのは、実に怪しからん事である。さて葬いのあった翌日からは、ユリアは子供の着物を縫いはじめた。もう一月で子供が生れることになっていたか・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・「肴屋か。あんなけちんぼは、俺とこの株内やないぞ。」「そうかて谷川って云うのは、あの家一軒ばち有るか。お前とこの株内や。」「だいたいあの家、俺は好かんのや。」「贅沢ぬかしてよ。俺が連れてってやるぞ。立て立て。」「あっこは・・・ 横光利一 「南北」
・・・美人といえばそれまでですが、僕はあんな高尚な、天人のような美人は見た事がないんです。先下々の者が御挨拶を申上ると、一々しとやかにお請をなさる、その柔和でどこか悲しそうな眼付は夏の夜の星とでもいいそうで、心持俯向いていらっしゃるお顔の品の好さ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・同じ革命がドイツや英国に起こる時には、決してあんな醜態は見せまい。民衆の教養は共同と秩序とを可能にする。現在民衆の人間らしい本能を押えつけている力の組織は、やがてまたそれを倒す民衆の力の内にも現われて来るだろう。 もし近い内に真実の講和・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
出典:青空文庫