・・・そのうじがきれいに膿をなめ尽くして傷が癒える。そういう場合のあることは昔からも知られていたであろうが、それが欧州大戦以後特に外科医のほうで注意され問題にされ研究されて、今日では一つの新療法として特殊な外科的結核症や真珠工病などというものの治・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・そうしてこれに対する解説を近代的な言葉で発展させればいろいろむつかしくも言えるようであるが、しかしわれわれ日本の旧思想の持ち主の目から見れば実質的にはいっこう珍しくもなんともないことのように思われてしかたがない。つまり日本人がとくの昔から、・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
・・・最後にどこまで進んでいたかはわからないが、ただ彼の短い生涯が決してそれほど短いものでなかったという事だけは言えるように思う。 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・ それからだんだん、ふれ声も平気で言えるようになり、天秤棒の重みで一度は赤く皮のむけた肩も、いつかタコみたいになって痛くなくなり、いつもこんにゃくを買ってくれる家の奥さんや女中さんとも顔馴染になったりしていったが、たった一つだけが、いつ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・今の世の中にはあのようなものが芸術家を以て目せられるのも自然の趨勢であると思ったので、面晤する場合には世辞の一ツも言える位にはなっている。活動写真に関係する男女の芸人に対しても今日の僕はさして嫌悪の情を催さず儼然として局外中立の態度を保つこ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・余曾て言えることあり。男子の心は元禄武士の如くして其芸能は小吏の如くなる可しと。今この語法に従い女子に向て所望すれば、起居挙動の高尚優美にして多芸なるは御殿女中の如く、談笑遊戯の気軽にして無邪気なるは小児の如く、常に物理の思想を離れず常に経・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・されどここに言える取合せとは二種の取合せをいうものにして、洒堂のごとく三種の取合せをいうにあらざるは、芭蕉の句、許六の句を見て明らかなり。芭蕉また凡兆に対して「俳諧もさすがに和歌の一体なり、一句にしおりあるように作すべし」といえるもこの間の・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・その範囲で、作家は作品を生きていると言える。けれども、人間性を自分の枠のなかからたたき出して、辛い旅をさせ、客観的に追いつめられるだけ追いつめて見て到達した地点へ、自分の生きかたの足場を刻みつけて進んでゆくという、アルプス登攀のような文学と・・・ 宮本百合子 「作品と生活のこと」
・・・そのままの状態を、一つも発展しないものとして裏返して見れば、悪条件の無くなった社会で、女がそういう奴隷的生存を続ける為の結婚を望まなくなるだろうということは言えるだろう。けれども、私たちはそういう機械的な裏返しで現在の逆を見る誤りに落入って・・・ 宮本百合子 「人間の結婚」
・・・『そんな嘘が、そんな嘘が――正直ものを誣るような、そんな嘘が言えるものなら!』 かれは十分弁解した、かれは信ぜられなかった。 かれはマランダンと立ち合わされた。マランダンはどこまでも自分の証拠をあげて主張した。かれらは一時間ばか・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
出典:青空文庫