・・・「僕はそいつを見せつけられた時には、実際今昔の感に堪えなかったね。――」 藤井は面白そうに弁じ続けた。「医科の和田といった日には、柔道の選手で、賄征伐の大将で、リヴィングストンの崇拝家で、寒中一重物で通した男で、――一言にいえば・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ただ僕等の友だちの一人、――Kと云う医科の生徒だけはいつも僕等を冷評していた。「そんな議論にむきになっているよりも僕と一しょに洲崎へでも来いよ。」 Kは僕等を見比べながら、にやにや笑ってこう言ったりした。僕は勿論内心では洲崎へでも何・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・ 譚永年は僕と同期に一高から東大の医科へはいった留学生中の才人だった。「きょうは誰かの出迎いかい?」「うん、誰かの、――誰だと思う?」「僕の出迎いじゃないだろう?」 譚はちょっと口をすぼめ、ひょっとこに近い笑い顔をした。・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・もっとも目録以下のものの勝負だけを見届けたのでございまする。数馬の試合を致した時にも、行司はやはりわたくしでございました。」「数馬の相手は誰がなったな?」「御側役平田喜太夫殿の総領、多門と申すものでございました。」「その試合に数・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・平家は高平太以下皆悪人、こちらは大納言以下皆善人、――康頼はこう思うている。そのうぬ惚れがためにならぬ。またさっきも云うた通り、我々凡夫は誰も彼も、皆高平太と同様なのじゃ。が、康頼の腹を立てるのが好いか、少将のため息をするのが好いか、どちら・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・中庸というものは二つの道以下のものであるかもしれないが、少なくとも二つの道以上のものではない。詭弁である、虚偽である、夢想である。世を済う術数である。 人を救う道ではない。 中庸の徳が説かれる所には、その背後に必ず一つの低級な目的が・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・然し黒田氏のかゝる気持は次代の長官以下には全く忘れられてしまった。惜しいことだったと私は思う。 私は北海道についてはもっと具体的なことが書きたい。然し今は病人をひかえていてそれが出来ない、雑誌社の督促に打ちまけて単にこれだけを記して責を・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・ ――金石の湊、宮の腰の浜へ上って、北海の鮹と烏賊と蛤が、開帳まいりに、ここへ出て来たという、滑稽な昔話がある―― 人待石に憩んだ時、道中の慰みに、おのおの一芸を仕ろうと申合す。と、鮹が真前にちょろちょろと松の木の天辺へ這って、脚を・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・松魚だ、鯛だ。烏賊でも構わぬ。生麦の鰺、佳品である。 魚友は意気な兄哥で、お来さんが少し思召しがあるほどの男だが、鳶のように魚の腹を握まねばならない。その腸を二升瓶に貯える、生葱を刻んで捏ね、七色唐辛子を掻交ぜ、掻交ぜ、片襷で練上げた、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 但し、以下の一齣は、かつて、一樹、幹次郎が話したのを、ほとんどそのままである。「――その年の残暑の激しさといってはありませんでした。内中皆裸体です。六畳に三畳、二階が六畳という浅間ですから、開放しで皆見えますが、近所が近所だか・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
出典:青空文庫