いくたがわ【生田川】
神戸市を流れる川。摩耶 (まや) 山に源を発し、布引滝 (ぬのびきのたき) となって神戸港に注ぐ。菟原処女 (うないおとめ) が身を投げた妻争いの伝説で知られる。万葉集・一八〇九に詠まれ、大和物語にもみえる。[歌枕]「すみわびぬわが身投げてむ津の国の生田の川は名のみなりけり」〈大和・一四七〉
いくたく【生田区】
⇒生田
いくたけんぎょう【生田検校】
[1656〜1715]江戸中期の箏曲 (そうきょく) 家。八橋検校の門人の北島検校門下で、生田流を創始。それまで別々に演奏されていた三味線音楽の地歌と箏曲を組み合わせて演奏。
いくたしゅんげつ【生田春月】
[1892〜1930]詩人・翻訳家。鳥取の生まれ。本名、清平。浪漫的、虚無的な詩風で知られる。瀬戸内海に投身自殺した。詩集「霊魂の秋」「感傷の春」、翻訳「ハイネ全集」など。
いくたじんじゃ【生田神社】
神戸市中央区にある神社。旧官幣中社。祭神は稚日女尊 (わかひるめのみこと) 。社地は源平合戦などの古戦場。
いくたちょうこう【生田長江】
[1882〜1936]評論家・小説家・戯曲家。鳥取の生まれ。東大卒。本名、弘治。翻訳「ニイチェ全集」、評論集「最近の小説家」など。
いくたのもり【生田の森】
生田神社境内にある森。源平合戦や新田・足利氏の古戦場。
いくたよろず【生田万】
[1801〜1837]江戸後期の国学者。上野 (こうずけ) 館林の人。平田篤胤 (ひらたあつたね) の門下で、越後の柏崎に桜園塾を開いた。天保の飢饉 (ききん) の際、救民のために柏崎の陣屋を襲ったが、負傷して自刃。
いくたりゅう【生田流】
箏曲 (そうきょく) の流派。生田検校の創始。主に関西で流行し、関東の山田流と近代箏曲界を二分する。
いくたりょくち【生田緑地】
神奈川県川崎市多摩区にある公園。枡形山 (ますかたやま) を中心に自然林が残るほか、岡本太郎美術館・日本民家園・青少年科学館などの施設がある。