・・・そう云う風であるから自然細君といさかう事もあるそうだ。それを予め知っておらぬと細君も驚く事があるかも知れぬが根が気安過ぎるからの事である故驚く事はない。いったい誰れに対してもあたりの良い人の不平の漏らし所は家庭だなど云う。室の庭に向いた方の・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・試みにこれらのへんな句やいやな句を抹殺してそれを美しいやさしいさびしおりにみちた句ばかりに作り変えることができたとする。そうしてみた後にわれわれは、事によると、せっかくのその修正の成果が意外にも単調一律なよそ行きの美句の退屈なる連鎖になりお・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・「誰でも構わないさ」「ハハハ呑気なもんだ。喧嘩にも強そうだが、足の強いのには驚いたよ。君といっしょでなければ、きのうここまでくる勇気はなかったよ。実は途中で御免蒙ろうかと思った」「実際少し気の毒だったね。あれでも僕はよほど加減し・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・この流の人は、改進政談家をもって自からおり、肉を裁するをいさぎよしとせずして、天下を裁するの志を抱き、政府に対してこれに感服せざるのみならず、つねに不平を訴うるほどのことなれば、その心志のとどまるところは、かえって政府の上流にありといわざる・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ その後、宝暦明和の頃、青木昆陽、命を奉じてその学を首唱し、また前野蘭化、桂川甫周、杉田いさい等起り、専精してもって和蘭の学に志し、相ともに切磋し、おのおの得るところありといえども、洋学草昧の世なれば、書籍はなはだ乏しく、かつ、これを学・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・後代手本たるべしとて褒美に「かげろふいさむ花の糸口」という脇して送られたり。平句同前なり。歌に景曲は見様体に属すと定家卿もの給うなり。寂蓮の急雨定頼卿の宇治の網代木これ見様体の歌なり。とあり。景気といい景曲といい見様体という、皆わが・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・「一郎、一郎、いるが。一郎。」 また明るくなりました。草がみないっせいによろこびの息をします。「伊佐戸の町の、電気工夫の童あ、山男に手足いしばらえてたふだ。」といつかだれかの話した言葉が、はっきり耳に聞こえて来ます。 そして・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・じっとしていさしゃれ。な。わしはお前のきばをぬくじゃ。な。お前の目をつぶすじゃ。な。それから。なまねこ、なまねこ、なまねこ。お前のみみを一寸かじるじゃ。なまねこ。なまねこ。こらえなされ。お前のあたまをかじるじゃ。むにゃ、むにゃ。なまねこ。堪・・・ 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・「数えてるさ、そんなら、じいさんは知ってるかい。いまでもポラーノの広場はあるかい。」ファゼーロが訊きました。「あるさ。あるにはあるけれどもお前らのたずねているような、這いつくばって花の数を数えて行くような、そんなポラーノの広場はねえ・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・ ひところの日本にあった、結婚はしたくはないが、子供は欲しいという表現は、ジュヌヴィエヴが、俗人でていさいやの父親というものに代表されているフランス社会の保守の習俗にぶっつけて、その面皮をはぐことで人間の真実の生活の顔を見ようと欲した激・・・ 宮本百合子 「結婚論の性格」
出典:青空文庫