・・・人の話に依りますと、ユーゴー、バルザックほどの大家でも、すべて女性の保護と慰藉のおかげで、数多い傑作をものしたのだそうです。私も貴下を、及ばずながらお助けする事に覚悟をきめました。どうか、しっかりやって下さい。時々お手紙を差し上げます。貴下・・・ 太宰治 「恥」
・・・西洋人の大きな洋館、新築の医者の構えの大きな門、駄菓子を売る古い茅葺の家、ここまで来ると、もう代々木の停留場の高い線路が見えて、新宿あたりで、ポーと電笛の鳴る音でも耳に入ると、男はその大きな体を先へのめらせて、見栄も何もかまわずに、一散に走・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・離婚問題も慰藉料問題も鳥の世界には起こり得ないのである。 自分の到着前には雄が二羽いたそうである。その中の一羽がむやみに暴戻で他の一羽を虐待する。そのたびに今もいる鴨羽の雌は人間で言わば仲を取りなし顔とでもいったような様子でそば近く寄っ・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・われるが、しかしそういう好季節の好天気の休日の交通機関に乗ってゆっくり腰をかけられるチャンスは少ないし、腰かけられたとしても、車内の混雑に起因する肉体的ならびに精神的の苦痛は、目的地の自然から得られる慰藉によって償われるかどうか疑問である。・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・映画のほかに余興とあってまね事のような化学的の手品、すなわち無色の液体を交ぜると赤くなったり黄色くなったりするのを懇意な医者に準備してもらった。それはまずいいとしても、明治十年ごろに姉が東京の桜井学校で教わった英語の唱歌と称するものを合唱し・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・孤独な生活を送りながら、それでいて悟りきれずに苦しんでいるあわれな人間にとっては、ケーベルさんのような人が、どこかの領事館の一室にこもったきりで読書と思索にふけっているという考えだけでもどんなに大きな慰藉であったかしれないと思う。その人がも・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・また一茶には森羅万象が不運薄幸なる彼の同情者慰藉者であるように見えたのであろうと想像される。 小宮君も注意したように恋の句、ことに下品の恋の句に一面滑稽味を帯びているのがある。これは芭蕉前後を通じて俳諧道に見らるる特異の現象であろう。こ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・自分には猫の事をかくのがこの上もない慰藉であり安全弁であり心の糧であるような気がする。 Miserable misanthrope この言葉が時々自分を脅かす。人間を愛したいと思う希望だけは充分にもっていながら、あさはかな「私」にさえぎ・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・それでもこの寒く冷たい寝床の上で、強烈な日光と生命のみなぎった南国の天地を思うのはこの上もない慰藉であった。 サイクラメンのほうは少し生育が充分でなかった。花にもなんだか生気が少なく、葉も少し縮れ上がって、端のほうはもう鳶色に朽ちかかっ・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・ 昂奮すると猶のこと、頭部の傷が痛んで来た。医者へもゆけず、ぐるぐるにおしまいた繃帯に血が滲み出ているのが、黒い塀を越して来る外光に映し出されて、いやに眼頭のところで、チラチラするのである。 恩知らずの川村の畜生め! 餓鬼時分からの・・・ 徳永直 「眼」
出典:青空文庫