・・・学者と素人との意思の疎通せざる第一の素因は既にここに胚胎す。学者は科学を成立さする必要上、自然界に或る秩序方則の存在を予想す。従ってある現象を定むる因子中より第一にいわゆる偶発的突発的なるものを分離して考うれども、世人はこの区別に慣れず。一・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
ある晩私は桂三郎といっしょに、その海岸の山の手の方を少し散歩してみた。 そこは大阪と神戸とのあいだにある美しい海岸の別荘地で、白砂青松といった明るい新開の別荘地であった。私はしばらく大阪の町の煤煙を浴びつつ、落ち着きのない日を送っ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・気の弱い彼女は、すべて古めかしい叔母の意思どおりにならせられてきた。「私の学校友だちは、みんないいところへ片づいていやはります」彼女はそんなことを考えながらも、叔母が択んでくれた自分の運命に、心から満足しようとしているらしかった。「・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・義姉自身の意志が多くそれに働いていたということは、多少不快に思われないことはないにしても、義姉自身の立場からいえば、それは当然すぎるほど当然のことであった。ただ私の父の血が絶えるということが私自身にはどうでもいいことであるにしても、私たちの・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・幸徳君らに尽く真剣に大逆を行る意志があったか、なかったか、僕は知らぬ。彼らの一人大石誠之助君がいったというごとく、今度のことは嘘から出た真で、はずみにのせられ、足もとを見る暇もなく陥穽に落ちたのか、どうか、僕は知らぬ。舌は縛られる、筆は折ら・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・南阿弗利加の黒奴は獣の如く口を開いて哄笑する事を知っているが、声もなく言葉にも出さぬ美しい微笑によって、いうにいわれぬ複雑な内心の感情を表白する術を知らないそうである。健全なる某帝国の法律が恋愛と婦人に関する一切の芸術をポルノグラフィイと見・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・避姙は宛ら選挙権の放棄と同じようなもので、法律はこれを個人の意志に任せている。 選挙にはむずかしい規定がある。一たびこれに触れると、忽縲紲の辱を受けねばならない。触らぬ神に祟なき諺のある事を思えば、選挙権はこれを棄てるに若くはない。・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・然し全治までには長い時間を要すると医師は診断した。告訴を受ければ太十は監獄署の門をくぐらねばならぬと思って居る。彼はどれ程警察署や監獄署に恐怖の念を懐いたろう。彼はそれからげっそり窶れて唯とぼとぼとした。事件は内済にするには彼の負担としては・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・そうして過渡期の日本の社会道徳にそむいて、私の歩を相互に進めることなしに、意志の重みをはじめから監督者たる父母に寄せかけた彼の行ないぶりを快く感じた。そこで彼の依頼を引き受けた。 さっそく妻をやって先方へ話をさせてみると、妻は女の母の挨・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・「どこにでもあるさ。意思のある所には天祐がごろごろしているものだ」「どうも君は自信家だ。剛健党になるかと思うと、天祐派になる。この次ぎには天誅組にでもなって筑波山へ立て籠るつもりだろう」「なに豆腐屋時代から天誅組さ。――貧乏人を・・・ 夏目漱石 「二百十日」
出典:青空文庫