・・・出征して再び還ることのなかった良人をもつ妻たちは、どんなに、自分たちの不安が社会全体の連帯保証によって守られ、自分が安心して助ける場面と、安心して遺児たちを育て終せる条件とを求めているだろう。戦災者・復員者たちは、日を経るにつれて骨肉を噛む・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ 彼らは感じのなさそうな顔のぼんやりしたふうで、買い手の値ぶみを聞いて、売り価を維持している。あるいはまた急に踏まれた安価にまけて、買い手を呼び止める、買い手はそろそろ逃げかけたので、『よろしい、お持ちなされ!』 かれこれするう・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・弥一右衛門はほかの人の言いつけられてすることを、言いつけられずにする。ほかの人の申し上げてすることを申し上げずにする。しかしすることはいつも肯綮にあたっていて、間然すべきところがない。弥一右衛門は意地ばかりで奉公して行くようになっている。忠・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・自分は神霊の存在なんぞは少しも信仰せずに、唯俗に従って聊復爾り位の考で糊塗して遣っていて、その風俗、即ち昔神霊の存在を信じた世に出来て、今神霊の存在を信ぜない世に残っている風俗が、いつまで現状を維持していようが、いつになったら滅亡してしまお・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・はるかに狼が凄味の遠吠えを打ち込むと谷間の山彦がすかさずそれを送り返し,望むかぎりは狭霧が朦朧と立ち込めてほんの特許に木下闇から照射の影を惜しそうに泄らし、そして山気は山颪の合方となッて意地わるく人の肌を噛んでいる。さみしさ凄さはこればかり・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・こういう事になると子供は露骨に意地を張り通します。もちろん私は子供のわがままを何でも押えようとは思いませんが、しかし時々は自分の我のどうしても通らない障壁を経験させてやらなければ、子供の「意志」の成長のためによろしくないと考えています。で、・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・そうして初めは、彼らの武力による治安維持の努力が実際に目に見える功績であった。しかし後にはただ特権階級として、伝統の特権によって民衆の上に立っていたのである。しかし民衆運動が勃興して後には、由緒の代わりに実力が物をいうようになった。単なる家・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫