・・・その後、世事談を見ると、のろまは「江戸和泉太夫、芝居に野呂松勘兵衛と云うもの、頭ひらたく色青黒きいやしげなる人形を使う。これをのろま人形と云う。野呂松の略語なり」とある。昔は蔵前の札差とか諸大名の御金御用とかあるいはまたは長袖とかが、楽しみ・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・さてこうなって考えますと、叔母の尼さえ竜の事を聞き伝えたのでございますから、大和の国内は申すまでもなく、摂津の国、和泉の国、河内の国を始めとして、事によると播磨の国、山城の国、近江の国、丹波の国のあたりまでも、もうこの噂が一円にひろまってい・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・ 僥倖に、白昼の出水だったから、男女に死人はない。二階家はそのままで、辛うじて凌いだが、平屋はほとんど濁流の瀬に洗われた。 若い時から、諸所を漂泊った果に、その頃、やっと落着いて、川の裏小路に二階借した小僧の叔母にあたる年寄がある。・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ あるときは、雨がつづいて、出水のために、あるときは、すさまじいあらしのために、また真に怖ろしい雪のために、その脅威は一つではなかったのです。 同じ生命を有している人間のすることにくらべて、はかり知れない、暴力の所有者である自然のほ・・・ 小川未明 「しんぱくの話」
・・・のこと、今の沢村宗十郎氏の門弟で某という男が、或夏の晩他所からの帰りが大分遅くなったので、折詰を片手にしながら、てくてく馬道の通りを急いでやって来て、さて聖天下の今戸橋のところまで来ると、四辺は一面の出水で、最早如何することも出来ない、車屋・・・ 小山内薫 「今戸狐」
・・・ところが、親父はすぐまた俺を和泉の山滝村イ預けよった。山滝村いうたら、岸和田の奥の紅葉の名所で、滝もあって、景色のええとこやったが、こんどは自分の方から飛びだしたった。ところが、それが病みつきになってしもて、それからというもんは、どこイ預け・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・同朋町。和泉町。柏木。新富町。八丁堀。白金三光町。この白金三光町の大きな空家の、離れの一室で私は「思い出」などを書いていた。天沼三丁目。天沼一丁目。阿佐ヶ谷の病室。経堂の病室。千葉県船橋。板橋の病室。天沼のアパート。天沼の下宿。甲州御坂峠。・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・さらに晩秋には、神田・和泉町。その翌年の早春に、淀橋・柏木。なんの語るべき事も無い。朱麟堂と号して俳句に凝ったりしていた。老人である。例の仕事の手助けの為に、二度も留置場に入れられた。留置場から出る度に私は友人達の言いつけに従って、別な土地・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・大きな丸太を針金で縛り合せた仮橋が生ま生ましく新しいのを見ると、前の橋が出水に流されてそのあとへ新造したばかりであろうかと思われた。雨と一緒に横しぶきに吹きつける河霧がふるえ上がるように寒かった。 河向いから池までの熊笹を切開いた路はぐ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・お腹がふくれると、口が殖える将来を案じて、出来ることなら流産てしまえば可いがと不養生のありたけをして、板の間にじかに坐ったり、出水の時、股のあたりまである泥水の中を歩き廻ったりしたにもかかわらず、くりくりと太った丈夫な男の児が生れた。私・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫