・・・得利寺で戦死した兵士がその以前かれに向かって 「どうせ遁れられぬ穴だ。思い切りよく死ぬサ」と言ったことを思い出した。 かれは疲労と病気と恐怖とに襲われて、いかにしてこの恐ろしい災厄を遁るべきかを考えた。脱走? それもいい、けれど捕え・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・しかし彼以前の多くの学者にはそれをどうしたらいいかが分らなかった。あるいは大多数の人は因襲的の妥協に馴れて別にどうしようとも思わなかった。力学の教科書はこの急所に触れないように知らん顔をしてすましていた。それでも実用上の多くの問題には実際差・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・しかし四十余年前に漠然と感ぜられた疑問は今日に至っても依然たる不可解の疑問である。そして少しばかり言語に関する学者の所説などを読んでみても、なかなか簡単にこの疑問の答解は得られそうもないように思われた。 英語やドイツ語とだんだんに教わる・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・古い都の京では、嵐山や東山などを歩いてみたが、以前に遊んだときほどの感興も得られなかった。生活のまったく絶息してしまったようなこの古い鄙びた小さな都会では、干からびたような感じのする料理を食べたり、あまりにも自分の心胸と隔絶した、朗らかに柔・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
一 私は今年四十二才になる。ちょうどこの雑誌の読者諸君からみれば、お父さんぐらいの年頃であるが、今から指折り数えると三十年も以前、いまだに忘れることの出来ないなつかしい友達があった。この話はつくりごとでないから・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・此地ノ狭斜ハ天保以前嘗テ一タビ之ヲ開ク。未ダ幾クナラズシテ官新令ヲ下シ、命ジテ之ヲ徹シ去ル。安政中北里災ニ罹リ一時仮館ヲ此ニ設ク。明治ノ初年ニ至リ官復許シテ之ヲ興ス。爾来今ニ至ツテ日ニ昌ニ月ニ盛ナリ。家家娉ヲ貯ヘ、戸戸婀娜ヲ養フ。紅楼翠閣。・・・ 永井荷風 「上野」
・・・いつが起りということもなくもう久しい以前からそうなって畢った。彼は六十を越しても三四十代のもの、特に二十代のものとのみ交って居た。彼の年輩のものは却て彼の相手ではない。彼は村には二人とない不男である。彼は幼少の時激烈なる疱瘡に罹った。身体一・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・階段を降り切って最下の欄干に倚って通りを眺めた時にはついに依然たる一個の俗人となり了ってしまった。案内者は平気な顔をして厨を御覧なさいという。厨は往来よりも下にある。今余が立ちつつある所よりまた五六段の階を下らねばならぬ。これは今案内をして・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・しかしチェルシーは以前のごとく存在している。否彼の多年住み古した家屋敷さえ今なお儼然と保存せられてある。千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日まで昔のままで残っている。カーライルの・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
これは楽友館の給仕が話したのを誰かが書いたものらしい、而もそれは大分以前のことであろう。 初夏の或晩、楽友館の広間に、皓々と電燈がかがやいて、多くの人々が集った。この頃よくある停年教授の慰労会が催されるの・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
出典:青空文庫