・・・戦争とは何等関係のない、平時には、軍紀の厳重な軍隊では許されない面白おかしい悪戯や、出たらめや、はめをはずした動作が、やってみたくてたまらなくなるのだった。 黄色い鈍い太陽は、遠い空からさしていた。 屋根の上に、敵兵の接近に対する見・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・他の労働者達は焚き火にあたりながら冗談を云ったり、悪戯をしたりして、笑いころげていたが、京一だけは彼等の群から離れて、埃や、醤油粕の腐れなどを積上げた片隅でボンヤリ時間を過した。そのあたりからは、植物性の物質が腐敗して発する吐き出したいよう・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・これに就いて可笑しい話は、柄が三尺もある大きい薪割が今も家に在りますが、或日それを窃に持出しコツコツ悪戯して遊んで居たところ、重さは重し力は無し、過って如何なる機会にか膝頭を斬りました。堪らなく痛かったが両親に云えば叱られるから、人前だけは・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・しかし、あんなことを言って見せて悪戯好きな若い看護婦が患者相手の徒然を慰めようとするのだ、とおげんは思い直した。あの犬は誰の部屋へでも構わず入り込んで来るような奴だ。小さな犬のくせに、どうしてそんな人間の淫蕩の秘密を覚えたかと思われるような・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・「これ、悪戯しちゃ不可よ」「馬鹿、やい」と鞠子はあべこべに父を嘲った。――これが極く尋常なような調子で。 高瀬は歎息して奥へ行った。お島が茶を入れて夫の側へ来た時は、彼は独り勉強部屋に坐っていた――何事もせずに唯、坐っていた。・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・「章ちゃんがこんな悪戯をするんですわ。嘘ですのよ、みんな」と打消すようにいう。「何の事なんです、これは」「ほほほ」「フジサンというのは」「あたしでございます」「ああ、お藤さんとおっしゃるんですか」「はい」と藤さん・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・人生の冷酷な悪戯を、奇蹟の可能を、峻厳な復讐の実現を、深山の精気のように、きびしく肌に感じたのだ。しどろもどろになり、声まで嗄れて、「よく来たねえ。」まるで意味ないことを呟いた。絶えず訪問客になやまされている人の、これが、口癖になってい・・・ 太宰治 「花燭」
・・・相手は無言なれば、老生も無言のままに引下り、件の入歯を路傍より拾い上げんとせしに、あわれ、天の悪戯にや、いましめにや。落花間断なく乱れ散り、いつしか路傍に白雪の如く吹き溜り候て、老生の入歯をも被い隠したりと見え、いずこもただ白皚々の有様に候・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・私はすっかり弱ってしまって、丁度悪戯をしてつかまった子供のような意気地のない心持になって、主人の云うがままになって引き下がる外はなかったのである。 帰る途中で何だか少し落着かない妙な気がした。軽い負債でも背負わされたような気がしてあまり・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・ 日本橋橋畔のへリオトロープは単なる子供のいたずらであったであろうが、同じようなのでただの悪戯ではない場合があり得る。例えば某ビルディングの某会社のある窓の内に執務している甲某にその友人乙某が百メートルも先の街上から何かしらある信号を送・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
出典:青空文庫