・・・それで、患者たち一同を、川向うの浜離宮へうつす外にはみちもなくなりました。川は、ちょうどひき潮ですさまじい濁流がごうごうとうずまき、たぎっています。勇敢な高橋事務員は、その中へ決然一人でとびこんで、ようやく、向うの岸にひなんしていた船にたど・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・さて、この暗黒の時に当り、毎月いちど、このご結構のサロンに集い、一人一題、世にも幸福の物語を囁き交わさむとの御趣旨、ちかごろ聞かぬ御卓見、私たのまれもせぬに御一同に代り、あらためて主催者側へお礼を申し、合せてこの会、以後休みなくひらかれます・・・ 太宰治 「喝采」
・・・青天の霹靂である。一同暫くは茫然としていた。笑談だろうか。この貴族先生の顔色を見るに、そうは受け取れない。世界を一周する。誰一人それを望まないものはない。しかしどんな条件があるのだろうと、誰も猶予する。「僕がしましょう。」興奮の余りに、・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ しかし中等学校を卒業しないうちに学校生活が一時中断するようになったというのは、彼の家族一同がイタリアへ移住する事になったのである。彼等はミランに落着いた。そこでしばらく自由の身になった少年はよく旅行をした。ある時は単身でアペニンを越え・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ モーリスの出現によって陰気なシャトーの空気の中に急に一道の明るい光のさし込むのを象徴するように、「ミミーの歌」の一連の連続が插入されてインターリュードの形をなしている。むつかしやの苦虫の公爵が寝床の中でこの歌を始める。これがヴァレンテ・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・コーヒー茶わんの縁がまさにくちびると相触れようとする瞬間にぱっと頭の中に一道の光が流れ込むような気がすると同時に、やすやすと解決の手掛かりを思いつくことがしばしばあるようである。 こういう現象はもしやコーヒー中毒の症状ではないかと思って・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・仮りに科学的に信憑すべき根拠よりして、来る六十年ないし七十年間に某火山系に活動を予期し得るとせば、個人に対してはともかく、一県一道の為政者にとりては多大の参考となるべし。 予報者と被予報者との意志の疎通せざる手近き原因は、予報の指定する・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・ こういうふうに考えてくると流涕して泣くという動作には常に最も不快不安な緊張の絶頂からの解放という、消極的ではあるがとにかく一種の快感が伴なっていて、それが一道の暗流のように感情の底層を流れているように思われる。 うれしい事は、うれ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・船橋の探照燈は希薄な沈黙した靄の中に一道の銀のような光を投げて、船はきわめて静かに進んでいた。つい数日前までは低く見えていた北極星が、いつのまにか、もう見上げるように高くなっていた。 スエズで買ったそろいのトルコ帽をかぶったジェルサレム・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・私はその時なんという事なしに矛盾不調和を感ずる一方では、またつめたい薄暗い岩室の中にそよそよと一陣の春風が吹き、一道の日光がさし込んだような心持ちもあった事を自白しなければならない。 吹き込みが終わった文学士は額の汗を押しぬぐいながらそ・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
出典:青空文庫