・・・どんな事があっても――そう一心に思いつめながら、………… 二 翌日の朝洋一は父と茶の間の食卓に向った。食卓の上には、昨夜泊った叔母の茶碗も伏せてあった。が、叔母は看護婦が、長い身じまいをすませる間、母の側へその・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ですから彼が三十分ばかり経って、会社の宴会とかへ出るために、暇を告げて帰った時には、私は思わず立ち上って、部屋の中の俗悪な空気を新たにしたい一心から、川に向った仏蘭西窓を一ぱいに大きく開きました。すると三浦は例の通り、薔薇の花束を持った勝美・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・○僕一身から言うと、ほかの人にどんな悪口を言われても先生にほめられれば、それで満足だった。同時に先生を唯一の標準にすることの危険を、時々は怖れもした。○それから僕はいろんな事情に妨げられて、この正月にはちっとも働けなかった。働いた範・・・ 芥川竜之介 「校正後に」
・・・佐藤の一身、詩仏と詩魔とを併せ蔵すと云うも可なり。 四、佐藤の詩情は最も世に云う世紀末の詩情に近きが如し。繊婉にしてよく幽渺たる趣を兼ぬ。「田園の憂欝」の如き、「お絹とその兄弟」の如き、皆然らざるはあらず。これを称して当代の珍と云う、敢・・・ 芥川竜之介 「佐藤春夫氏の事」
・・・しかし一身の安危などは上帝の意志に任せてあるのか、やはり微笑を浮かべながら、少女との問答をつづけている。「きょうは何日だか御存知ですか?」「十二月二十五日でしょう。」「ええ、十二月二十五日です。十二月二十五日は何の日ですか? お・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・この子を助けようと思ったら何せ一心に天理王様に頼まっしゃれ。な。合点か。人間業では及ばぬ事じゃでな」 笠井はそういってしたり顔をした。仁右衛門の妻は泣きながら手を合せた。 赤坊は続けさまに血を下した。そして小屋の中が真暗になった日の・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・というのがあり、「聾の一心」というのがある。「聾の一心」は博文館の「春夏秋冬」という四季に一冊の冬に出た。そうしてその次に「鐘声夜半録」となり、「義血侠血」となり、「予備兵」となり、「夜行巡査」となる順序である。明治四十年五月・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・「衆生既信伏質直意柔軟、一心欲見仏、不自惜身命、」と親仁は月下に小船を操る。 諸君が随処、淡路島通う千鳥の恋の辻占というのを聞かるる時、七兵衛の船は石碑のある処へ懸った。 いかなる人がこういう時、この声を聞くのであるか? ここに・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ ただし、この革鞄の中には、私一身に取って、大切な書類、器具、物品、軽少にもしろ、あらゆる財産、一切の身代、祖先、父母の位牌。実際、生命と斉しいものを残らず納れてあるのです。 が、開けない以上は、誓って、一冊の旅行案内といえども取出・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 天災地変の禍害というも、これが単に財産居住を失うに止まるか、もしくはその身一身を処決して済むものであるならば、その悲惨は必ずしも惨の極なるものではない。一身係累を顧みるの念が少ないならば、早く禍の免れ難きを覚悟したとき、自ら振作するの・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
出典:青空文庫