・・・と顔を伏せ、呻くような、歔欷なさるような苦しげの声で言い出したので、弟子たちすべて、のけぞらんばかりに驚き、一斉に席を蹴って立ち、あの人のまわりに集っておのおの、主よ、私のことですか、主よ、それは私のことですかと、罵り騒ぎ、あの人は死ぬる人・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・おおぜいのひとたちは祖母のまわりに駈せ集い、一斉に鈴虫みたいな細い声を出して泣きはじめた。私は祖母とならんで寝ころがりながら、死人の顔をだまって見ていた。ろうたけた祖母の白い顔の、額の両端から小さい波がちりちりと起り、顔一めんにその皮膚の波・・・ 太宰治 「玩具」
・・・父はその昔、一世を驚倒せしめた、歴史家です。二十四歳にして新聞社長になり、株ですって、陋巷に史書をあさり、ペン一本の生活もしました。小説も書いたようです。大町桂月、福本日南等と交友あり、桂月を罵って、仙をてらう、と云いつつ、おのれも某伯、某・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・けれども、かなりの重傷で、とても助からぬと見て竹青は、一声悲しく高く鳴いて数百羽の仲間の烏を集め、羽ばたきの音も物凄く一斉に飛び立ってかの舟を襲い、羽で湖面を煽って大浪を起し忽ち舟を顛覆させて見事に報讐し、大烏群は全湖面を震撼させるほどの騒・・・ 太宰治 「竹青」
・・・進むというような奇妙な腕の振り工合で、そうしてまっぱだかにパンツ一つ、もちろん裸足で、大きい胸を高く突き上げ、苦悶の表情よろしく首をそらして左右にうごかし、よたよたよたと走って局の前まで来て、ううんと一声唸って倒れ、「ようし! 頑張った・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・ 砂漠でらくだがうずくまっていると飛行機の音が響いて来る、するとらくだが驚いて一声高くいなないて立ち上がる。これだけで芝居のうそが生かされて熱砂の海が眼前に広げられる。ホテルの一室で人が対話していると、窓越しに見える遠見の屋上でアラビア・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・だんだんに締めつけられて、虎は息苦しそうにはあはあとあえぐのであるが、それでも少しもうろたえたような、弱ったような様子の見えないのはさすがにえらい。一声高く咆哮しておどり上がりおどり上がると、だだっ子の兵児帯がほどけるように大蛇の巻き線がゆ・・・ 寺田寅彦 「映画「マルガ」に現われた動物の闘争」
・・・ 烏瓜の花が大方開き切ってしまう頃になると、どこからともなく、ほとんど一斉に沢山の蛾が飛んで来てこの花をせせって歩く。無線電話で召集でもされたかと思うように一時にあちらからもこちらからも飛んで来るのである。これもおそらく蛾が一種の光度計・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・突然向うの家の板塀へ何か打っつけた音がしたと思うと一斉に駆け出してそれきり何処かへ行ってしまった。凧のうなりがブンブンと聞えている。熱は追々高くなるらしい。口が乾いて舌が上顎に貼り付く。少し眠りたいと思うて寝返りをすると、額の氷袋の氷がカチ・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・この鯨絵巻の写しや、硯石で昔から知られた行当岬のスケッチや、祖先の出身だという一世一海和尚の墓の絵などが郷里の家に保存してあったはずであるが、いつの前にかもう無くなってしまったか、それともまだ倉の中のどこかに隠れているか不明である。 こ・・・ 寺田寅彦 「初旅」
出典:青空文庫