・・・、前に住んでいたのが、陸軍の主計官とかで、その人が細君を妾の為めに、非常に虐待したものから、細君は常に夫の無情を恨んで、口惜い口惜いといって遂に死んだ、その細君が、何時も不断着に鼠地の縞物のお召縮緬の衣服を着て紫繻子の帯を〆めていたと云うこ・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・これは豪雨のときに氾濫する虞れの多い溪の水からこの温泉を守る防壁で、片側はその壁、片側は崖の壁で、その上に人々が衣服を脱いだり一服したりする三十畳敷くらいの木造建築がとりつけてあった。そしてこれが村の人達の共同の所有になっているセコノタキ温・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・そして寒さは衣服に染み入ってしまっていた。 時刻は非常に晩くなったようでもあり、またそんなでもないように思えた。路をどこから間違ったのかもはっきりしなかった。頭はまるで空虚であった。ただ、寒さだけを覚えた。 彼は燐寸の箱を袂から取り・・・ 梶井基次郎 「過古」
・・・を踏み、ほんに砂粒まで数えらるるようなと、海近く育ちて水に慣れたれば何のこわいこともなく沖の方へずんずんと乳の辺りまで出ずるを吉次は見て懐に入れし鼈甲の櫛二板紙に包んだままをそっと袂に入れ換えて手早く衣服を脱ぎ、そう沖へ出ないがいいと言い言・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・その冷ややかな陰の水際に一人の丸く肥ッた少年が釣りを垂れて深い清い淵の水面を余念なく見ている、その少年を少し隔れて柳の株に腰かけて、一人の旅人、零落と疲労をその衣服と容貌に示し、夢みるごときまなざしをして少年をながめている。小川の水上の柳の・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・そして、彼らが市街のいずれかへ消えて行って、今夜ひっかえしてくる時には、靴下や化粧品のかわりに、ルーブル紙幣を、衣服の下にかくしている。そんな奴があった。 二 北方の国境の冬は、夜が来るのが早かった。 にょきにょ・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・ けれども、若い馭者は、乾草をなお身体のまわりに集めかけて、なるだけ風が衣服を吹き通さないようにするばかりで橇からは立上ろうとはしなかった。 目かくしをされた馬は、鼻から蒸気を吐き出しながら、おとなしく、御用商人が出てくるのを待って・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・そうするとこれを聞いたこなたの汚い衣服の少年は、その眼鼻立の悪く無い割には無愛想で薄淋しい顔に、いささか冷笑うような笑を現わした。唱の主はこんな事を知ろうようは無いから、すぐと続いて、誰に負われて摘んで取ろ。と唄い終・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・しかし自分達が何様扱われるかは更に測り知られぬので、二人は畏服の念の増すに連れ、愈々底の無い恐怖に陥った。 男はおもむろに室の四方を看まわした。屏風、衝立、御厨子、調度、皆驚くべき奢侈のものばかりであった。床の軸は大きな傅彩の唐絵であっ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・花の衣服をするっと脱いだら、おまもり袋が首にぷらんとさがっていたっけ、とその友人の画家が苦笑していた。 また、こんな話も聞いた。 その男は、甚だ身だしなみがよかった。鼻をかむのにさえ、両手の小指をつんとそらして行った。洗練されて・・・ 太宰治 「あさましきもの」
出典:青空文庫