・・・ほんとうの批評家にしか分らなければ、どこの新劇団でもストリンドベルクやイブセンをやりはしない。作の力、生命を掴むばかりでなく、技巧と内容との微妙な関係に一隻眼を有するものが、始めてほんとうの批評家になれるのだ。江口の批評家としての強味は、こ・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
・・・ 彼は第一高等学校に在学中、「笑へるイブセン」と云う題の下に、バアナアド・ショオの評論を草した。人は彼の戯曲の中に、愛蘭土劇の与えた影響を数える。しかしわたしはそれよりも先に、戯曲と云わず小説と云わず、彼の観照に方向を与えた、ショオの影・・・ 芥川竜之介 「「菊池寛全集」の序」
・・・口にするものは、今の文学を研究して而して後鑑賞するに足らざるが故に軽侮するのではなくて、多くは伝来の習俗に俘われて小説戯曲其物を頭から軽く見ているからで、今の文学なり作家なりを理解しているのでは無い。イブセンやトルストイが現われて来ても渠等・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・坪内博士がイブセンにもショオにもストリンドベルヒにも如何なるものにも少しも影響されないで益々自家の塁を固うするはやはり同じ性質の思想が累をなすのである。最も近代人的態度を持する島村抱月君もまた恐らくこの種の葛藤を属々繰返されるだろう。 ・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・沙翁劇にしろイブセンにしろ、本を読んだ時に与えられた以上の印象を受けたという事は出来ぬ。私は坪内君が諛辞を好む人でない事を知ってるから少しも憚らずに直言する。シカシ世間に与えた感動は非常なもので、大多数は尽くヒプノタイズされてしまって、紅隈・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・「オルムスの大会で王侯の威武に屈しなかったルーテルの胆は喰いたく思わない、彼が十九歳の時学友アレキシスの雷死を眼前に視て死そのものの秘義に驚いたその心こそ僕の欲するところであります。「勝手に驚けと言われました綿貫君は。勝手に驚けとは・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ と呼ぶ子供を見つけて、高瀬は自分の家の前の垣根のあたりで鞠子と一緒に成った。「鞠ちゃん、吾家へ行こう」 と慰撫めるように言いながら、高瀬は子供を連れて入口の庭へ入った。そこには畠をする鍬などが隅の方に置いてある。お島は上り框の・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・Alles Oder Nichts イブセンの劇より発し少しずつヨオロッパ人の口の端に上りしこの言葉が、流れ流れて、今では、新聞当選のたよりげなき長編小説の中にまで、易々とはいりこんでいたのを、ちらと見て、私自身、嘲弄された・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ドストエフスキー、セルバンテス、ホーマー、ストリンドベルヒ、ゴットフリード・ケラー*、こんな名前が好きな方の側に、ゾラやイブセンなどが好かない方の側に挙げられている。この名簿も色々の意味で吾々には面白く感じられる。* ゴットフリード・ケ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・シェークスピアとかドストエフスキーとかイブセンとかいう人々は、人間生死の境といったような重大な環境の中に人間をほうり込んで、試験檻の中のモルモットのごとくそれを観察した。しかしまたチェホフのような人は日常茶飯事的環境に置かれた人間の行動から・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
出典:青空文庫