・・・「は、じゃ行って来ましょう……姉さん、ゆっくり談していらっしゃいな、私じき行って来ますから」とお仙は立って行く。 格子戸の開閉静かに娘の出て行った後で、媼さんは一膝進めて、「どうでございましょう?」「少しね、話が変って来ましてね・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・途端にボックスで両側から男の肩に手を掛けていた二人の女が、「いらっしゃい」と起ち上ったが、その顔には見覚えはなく、また内部の容子が「ダイス」とはまるで違っている。あ、間違って入ったのかと、私はあわてて扉の外へ出ると、その隣の赤い灯が映ってい・・・ 織田作之助 「世相」
・・・蝶子は顔じゅう皺だらけに笑って「いらっしゃい」駆け寄ったのへつんと頭を下げるなり、女学生は柳吉の所へ近寄って低い声で「お祖父さんの病気が悪い、すぐ来て下さい」 柳吉と一緒に駆けつける事にしていた。が、柳吉は「お前は家に居りイな。いま一緒・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・私がはいって行くと、笹川は例の憫れむようなまた皮肉な眼つきして「今日はたいそうおめかしでいらっしゃいますね」と、言った。 こう言われて、私は頭を掻いた。じつは私は昨日ようようのことで、古着屋から洗い晒しの紺絣の単衣を買った。そして久しぶ・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・「ポーリンさんにシマノフさん、いらっしゃい」 ウエイトレスの顔は彼らを迎える大仰な表情でにわかに生き生きし出した。そしてきゃっきゃっと笑いながら何か喋り合っていたが、彼女の使う言葉はある自由さを持った西洋人の日本語で、それを彼女が喋・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・口はさびしい笑いをもらしてちょっと振り向きましたが、すぐまた、下を向いてしまいました、 なぜかおッ母さんは、泣き面です、そして私をしかるように「窪田さん、そんなものをごらんになるならあっちへ持っていらっしゃい」「いいかい君、」と、私・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・……でもいらっしゃい、どうぞ。」 その言葉が、朗らかに、快活に、心から、歓迎しているように、兵卒達には感じられた。 兵卒は、殆んど露西亜語が分らなかった。けれども、そのひびきで、自分達を歓迎していることを、捷く見てとった。 晩に・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・内儀「仕様がないたって、あなた何へいらっしゃいましよ、あの石川様へお歳暮だって入らっしゃると、いつでも貴方に千疋ぐらい御祝儀を下さるじゃアありませんか」七「他人のものを当にしちゃアいかん、他人のものを当にして物を貰うという心が一体賤・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・末子さんもわたしと一緒にいらっしゃいね。」 と、お徳が言い出した。「僕も送って行くよ。」 と、三郎も言った。すると、次郎は首を振って、「だれも来ちゃいけない。今度はだれにも送ってもらわない。」 それが次郎の望みらしかった・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・犬は、「このへんでしばらく待っていらっしゃい。あのお城のぐるりには毒蛇と竜が一ぱいいて、そばへ来るものをみんな殺してしまいます。しかし、その毒蛇も竜も、日中一ばん暑いときに三時間だけ寝ますから、そのときをねらって、こっそりとおりぬければ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
出典:青空文庫