・・・夢の話と色恋の話くらい、聞いていてつまらないものはない。(そこで自分は、「それは当人以外に、面白さが通じないからだよ。」と云った。「じゃ小説に書くのにも、夢と色恋とはむずかしい訳だね。」「少くとも夢なんぞは感覚的なだけに、なおそうらしい・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・女房もちの銭なしが当世色恋の出来ない事は、昔といえども実はあまりかわりはない。 打あけて言えば、渠はただ自分勝手に、惚れているばかりなのである。 また、近頃の色恋は、銀座であろうが、浅草であろうが、山の手新宿のあたりであろうが、つつ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・鵜の啣えた鮎は、殺生ながら賞翫しても、獺の抱えた岩魚は、色恋といえども気味が悪かったものらしい。 今は、自動車さえ往来をするようになって、松蔭の枝折戸まで、つきの女中が、柳なんぞの縞お召、人懐く送って出て、しとやかな、情のある見送りをす・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・よし色恋の感情は別としても、家じゅう気をそろえて働けば互いに心持ちよく、いわゆる一家の和合からわき起こる一種の愉快もまたはなはだ趣味の深いものである。 省作が片肌脱いで勢いよく鎌をとぎ始めれば、兄夫婦の顔にもはやむずかしいところは少しも・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・しかしその女の人はなによりも色濃い島の雰囲気を持って来た。僕たちはいつも強い好奇心で、その人の謙遜な身なりを嗅ぎ、その人の謙遜な話に聞き惚れた。しかしそんなに思っていても僕達は一度も島へ行ったことがなかった。ある年の夏その島の一つに赤痢が流・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・ 恋には色濃い感覚と肉体と情緒とがなくてはならぬ。それは日本の娘の特色である。この点あの歌舞伎芝居に出る娘の伝統を失ってはならぬ。シックな、活動的な洋装の下にも決してこの伝統の保存と再現とを忘れるな、かわいた、平板な、冷たい石婦のような・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・独歩はブルジョア的であるが、蘆花は封建的色彩がより色濃い。蘆花自身人道主義者で、クリスチャンだったが、東郷大将や乃木大将を崇拝していた。「不如帰」には、日清戦争が背景となっている。そして、多くの上級の軍人が描かれている。黄海の海戦の描写・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ 姉はただもう涙を流し、若い者の阿呆らしい色恋も、ばかにならぬと思い知る。 太宰治 「犯人」
・・・稽古唄の文句によって、親の許さぬ色恋は悪い事であると知っていたので、初恋の若旦那とは生木を割く辛い目を見せられても、ただその当座泣いて暮して、そして自暴酒を飲む事を覚えた位のもの、別に天も怨まず人をも怨まず、やがて周囲から強られるがままに、・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・、客観的に現実を描こうとしていても、それは、描かれたものがそのものの独自性で作品の現実関係の中に立ち現れて来て、そこに錯綜した交渉を生じ、発展させてゆくような性質ではなく、情景も人物も、そのものとして色濃いながらいかにもそれはゴーリキイ風な・・・ 宮本百合子 「長篇作家としてのマクシム・ゴーリキイ」
出典:青空文庫