・・・余のごとき頭脳不透明なるものは理窟を承わるより結論だけ呑み込んで置く方が簡便である。「ああ、つまりそこへ帰着するのさ。それにこの本にも例が沢山あるがね、その内でロード・ブローアムの見た幽霊などは今の話しとまるで同じ場合に属するものだ。な・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・筋がなければ文章にならんと云うのは窮窟に世の中を見過ぎた話しである。――今の写生文家がここまで極端な説を有しているかいないかは余といえども保証せぬ。しかし事実上彼らはパノラマ的のものをかいて平気でいるところをもって見ると公然と無筋を標榜せぬ・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・まして西洋へ来て無弁舌なる英語でもって窮窟な交際をやるのはもっとも厭いだ。加之倫敦は広いから交際などを始めるとむやみに時間をつぶす、おまけにきたない「シャツ」などは着て行かれず、「ズボン」の膝が前へせり出していてはまずいし雨のふる時などはな・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ソンナ不理窟はなかる可し。女子の身に恥ず可きことは男子に於ても亦恥ず可き所のものなり。故に父母の子を教訓するは甚だ嘉し。父母たる者の義務として遁れられぬ役目なれども、独り女子に限りて其教訓を重んずるとは抑も立論の根拠を誤りたるものと言う可し・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・殊に男女の再縁は世界中の普通なるに、独り我日本国に於ては之を男子に自由にして女子に窮窟にす。自から両者対等の権力に影響なきを得ず。是れ亦我輩の等閑に看過せざる所のものなり。 右第一条より第二十三条に至るまで、概して我国古来の定論に反・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ある日、多田氏の平生窟より人おこせ、おのが庵の壁の頽れかかれるをつくろはす来つる男のこまめやかなる者にて、このわたりはさておけよかめりとおのがいふところどころをもゆるしなう、机もなにもうばひとりてこなたかなたへうつしやる、おのれは盗・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ つい先頃、後妻にいじめられ、水ものめずに死んだ石屋の爺さんが、七十六かで、沢や婆さんと略同年輩の最後の一人であった。その爺さえ、彼女の前身を確に知ってはいなかった。まして、村の若い者、仙二位の男達だって、赤児で始めて沢や婆さんの顔を見、怯・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
この第二巻には、わたしとしてほんとうに思いがけない作品がおさめられた。それは二百枚ばかりの小説「古き小画」が見つかったことである。 一九二二年の春のころ、わたしは青山の石屋の横丁をはいった横通りの竹垣のある平べったいト・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・フダーヤはその岩屋に入って、凄く響く声の反響をききながら、「大塔宮が殺される時の声もこんなに響いたんだろうな」といった。隅に、巨大な蜘蛛が巣をかけていた。その下の岩の裂けめから水が湧き出し、少したまっている面が薄暗い中で鈍く光った。・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・ 十八九歳でパン焼釜の前に縛りつけられていた時分、彼は仲間に淫売窟へ誘われた。彼はそこへついて行き、だが自分は放蕩をせず、不幸な娘たちといろいろ話し、そういう場所へ来る大学生が、彼等の所謂教養にもかかわらず何故こんな性質のいい娘がこうい・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
出典:青空文庫