・・・情事に浮身をやつすには心身共に老いを感じすぎているのである。私は若く美しい異性を前にして、あたかも存在せぬごとく、かすんでいることが多い。もっとも私とても三十三歳のひとり者であるから、若く美しい異性と肩を並べて夜の道を歩くという偶然の機会に・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ 十八の歳から、叔母の家を五丁ばかり離れた小学校に通って、同僚の三四人とともに村の子供の世話をして、夜は尺八の稽古に浮身をやつし、この世を面白おかしく暮すようになりました。尺八の稽古といえば、そのころ村に老人がいまして、自己流の尺八を吹・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・それで趣味が高じて来るというと、良いのを探すのに浮身をやつすのも自然の勢です。 二人はだんだんと竿に見入っている中に、あの老人が死んでも放さずにいた心持が次第に分って来ました。 「どうもこんな竹は此処らに見かけねえですから、よその国・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・川竹の憂き身をかこつ哥沢の糸より細き筆の命毛を渡世にする是非なさ……オット大変忘れたり。彼というは堂々たる現代文士の一人、但し人の知らない別号を珍々先生という半可通である。かくして先生は現代の生存競争に負けないため、現代の人たちのする事は善・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・「うれしきものに罪を思えば、罪長かれと祈る憂き身ぞ。君一人館に残る今日を忍びて、今日のみの縁とならばうからまし」と女は安らかぬ心のほどを口元に見せて、珊瑚の唇をぴりぴりと動かす。「今日のみの縁とは? 墓に堰かるるあの世までも渝らじ」・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫