・・・ それに、舞台が私の故郷に近いので、いっそうその若い心が私の心に滲みとおって感じられるように思われた。日記を見てから、小林秀三君はもう単なる小林秀三君ではなかった。私の小林秀三君であった。どこに行ってもその小林君が生きて私の身辺について・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・換言すれば、月並みな陳套な正札付きの真実よりも、うそから出た誠にかえってより多くのより深き真実を見いだすこともありうるという意味で、こうした言葉を使っているのではないかと想像される。 この夫婦のように、深く相愛して愛におぼれず、堅く相信・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・そのころの田舎の饗宴の照明と言えば、大きなろうそくを燃やした昔ながらの燭台であった。しかしあのろうそくの炎の不定なゆらぎはあらゆるものの陰影に生きた脈動を与えるので、このグロテスクな影人形の舞踊にはいっそう幻想的な雰囲気が付きまとっていて、・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・土一升に金一升……うそじゃ無い、本間の話じゃ。手を振るのは聞きとも無いと云うのか。もう落付いて一所に話す折もあるまい。シワルドの名残の談義だと思うて聞いてくれ。そう滅入らんでもの事よ」宵に浴びた酒の気がまだ醒めぬのかゲーと臭いのをウィリアム・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ちょうど小学校の読本の村のことを書いたところのようにじつにうそらしくてわざとらしくていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんとうだから仕方ない。ぼくらは空想でならどんなことでもすることができる。けれどもほんとうの仕事はみんなこんなにじみ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ほんのまぐれあたりでもあんまり度々になるととうとうそれがほんとになる。きっと私はもう一度この高原で天の世界私はひとりで斯う思いながらそのまま立っておりました。 そして空から瞳を高原に転じました。全く砂はもうまっ白に見えていました。湖は緑・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・「いやな人! 何故其那に蓮の花なんぞ買いこんで来たんだよ、縁起がわるい!」 亭主は働きのない、蒼い輓い顔をした小男であった。「――俺そんなもの、買って来やしねえ」「うそ! 壁まで蓮の花だらけだよ。この人ったら」「買わねえ・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・しかしそれを拒んで答えずにしまうのは、ほとんどそれはうそだというと同じようになる。近ごろ帰一協会などでは、それを子供のために悪いと言って気づかっている。 寒山詩が所々で活字本にして出されるので、私のうちの子供がその広告を読んで買ってもら・・・ 森鴎外 「寒山拾得縁起」
・・・まあ、あなたがうそつきだとは申しますまい。体好く申せばわたくしをお担ぎなすったのですね。あなたの御亭主と云うのは年が五十、そうですね、五十五六くらいで、頭がすっかり禿げていて、失礼ですが、無類の不男だったろうじゃありませんか。おまけに背中は・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
・・・とか、「上下万民に対し、一言半句もうそを云はず、かりそめにもありのまゝたるべし」とかという場合の、ありのままという言葉に現わされた気持ちがそれである。虚飾に流れていた前代の因襲的な気風に対して、ここには実力の上に立つあけすけの態度がある。戦・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫