・・・ 秋山は舌打ちをした。 ――奴あ、ハムマーを耳ん中に押し込んでやがるんだ、きっと、――そう思って、秋山は口を噤んだ。 秋山は十年、小林は三十年、坑夫をやって来た。彼等は、車を廻す二十日鼠であった。 彼等は根限り駆ける! する・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・もしまた誤って柱に行き当り額に瘤を出して泣き出すことあれば、これを叱らずしてかえって過ちを柱に帰し、柱を打ち叩きて子供を慰むることあり。さてこの二つの場合において、子供の方にてはいずれも自身の誤りなれば頓と区別はなきことなれども、一には叱ら・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・あの子が夜遊に出て帰らぬ時は、わたしは何時もここに立って真黒な外を眺めて、もうあの子の足音がしそうなものじゃと耳を澄まして聞いていて、二時が打ち三時が打ち、とうとう夜の明けた事も度々ある。それをあの子は知らなんだ。昼間も大抵一人でいた。盆栽・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・文を売りて米の乏しきを歎き、意外の報酬を得て思わず打ち笑みたる彼は、ここに至って名利を見ること門前のくろの糞のごとくなりき。臨むに諸侯の威をもってし招くに春岳の才をもってし、しこうして一曙覧をして破屋竹笋の間より起たしむるあたわざりしもの何・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・五月十一日 日曜 曇 午前は母や祖母といっしょに田打ちをした。午后はうちのひば垣をはさんだ。何だか修学旅行の話が出てから家中へんになってしまった。僕はもう行かなくてもいい。行かなくてもいいから学校ではあと授業の時間に行く人を調べ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・百万円の宝くじに当った人はバクチ打ちとして捕えられない。けれども、バクチは千葉県の競馬場でも大騒動して検挙されているし、新宿もそれでさわいだ。五十円の宝くじを買って、百万円あたる、ということはバクチでないだろうか。勤労の所得と云えるかしら。・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・と権兵衛は言ったが、打ち解けた様子もない。権兵衛は弟どもを心にいたわってはいるが、やさしく物をいわれぬ男である。それに何事も一人で考えて、一人でしたがる。相談というものをめったにしない。それで弥五兵衛も市太夫も念を押したのである。「兄い・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・たった一人の子を打ちに、ここからわざわざ帰って行く奴があるか。」 ツァウォツキイは黙っていた。それでも押丁がまた小刀を胸に挿してやった時は、溜息を衝いた。 押丁はツァウォツキイの肩を掴んで、鉄の車に載せて、地獄へ下らせた。 ツァ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・「あの傍じゃ、おれが、誰やらん逞ましき、敵の大将の手に衝き入ッて騎馬を三人打ち取ッたのは。その大将め、はるか対方に栗毛の逸物に騎ッてひかえてあったが、おれの働きを心にくく思いつろう、『あの武士、打ち取れ』と金切声立てておッた」「はは・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・しかし、最後にのた打ちながら征服しなければならなかったものは、ナポレオン・ボナパルトであった。彼は高価な寝台の彫刻に腹を当てて、打ちひしがれた獅子のように腹這いながら、奇怪な哄笑を洩すのだ。「余はナポレオン・ボナパルトだ。余は何者をも恐・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫