・・・ 打つ真似をする。藍染の湯帷子の袖が翻る。「早く飲みましょう」「そうそう。飲みに来たのだったわ」「忘れていたの」「ええ」「まあ、いやだ」 手ん手に懐を捜って杯を取り出した。 青白い光が七本の手から流れる。・・・ 森鴎外 「杯」
・・・甚五郎は鷺を撃つとき蜂谷と賭をした。蜂谷は身につけているものを何なりとも賭けようと言った。甚五郎は運よく鷺を撃ったので、ふだん望みをかけていた蜂谷の大小をもらおうと言った。それもただもらうのではない。代りに自分の大小をやろうというのである。・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・人を打つ。どうかすると小刀で衝く。窃盗をする。詐偽をする。強盗もする。そのくせなかなかよい奴であった。女房にはひどく可哀がられていた。女房はもとけちな女中奉公をしていたもので十七になるまでは貧乏な人達を主人にして勤めたのだ。 ある日曜日・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・「よしよし、じゃ、もう打つのは止そう。」「あなた、もうあたし、駄目なんだから。」と妻はいった。「いや、まだ、まだ。」「あたし、苦しい。」「うむ、もう直ぐ、癒る。大丈夫だ。」「どうして、あたしを、死なしてくれないんだろ・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・葉を打つ雨の単純な響きにも、心を捉えて放さないような無限に深いある力が感じられるのです。 私はガラス越しにじっと窓の外をながめていました。そうしていつまでも身動きをしませんでした。私の眼には涙がにじみ出て来ました。湯加減のいい湯に全身を・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫